HOME | 「宗祖覚恵上人」略伝【4】

中山身語正宗のあゆみ

中山身語正宗のあゆみ

「宗祖覚恵上人」略伝

宗祖が開かれた古四国八十八カ所霊場

宗祖が開かれた古四国八十八カ所霊場

【4】身語正の立教 〜「根本大悲の親」の願い〜

 こうして仏道に励むことに何の迷いもなくなった松太郎の行願や済度は、夜を日につぎ、これまでに増して精力的なものとなり、ひたすら我執(がしゅう)を取り除き、世間体や羞恥心(しゅうちしん)、欲(よく)も得(とく)も捨てていったのでした。
 大正元年2月18日、仏様は、松太郎にこれまでにない重大な「おことば」、「中山身語正宗」の立教を授けられます。それは、「この度、根本大悲の親は頼む一念身語正と開くぞ。日本の国のすみずみから、世界の国のはしばしに至るまで、ひらいて助けてゆくぞ」(後に本宗で「宗祖のご本願」と称されます)という「おことば」でした。
 ここに身語正教主「根本大悲の親」という仏様が、本宗の立教と布教のあり方を授けられたのでした。それからの松太郎はこの「おことば」を生涯自分の最高目標とし、人類救済にまい進することになります。

 明治維新後、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響で多くの仏像が野山に捨てられ、地に埋もれ、川底に沈められていました。同年の春、仏様は世間から忘れられたこれらの仏像の所在を一つひとつ松太郎に教え、拾い上げた仏像をこの世に蘇(よみがえ)らせて古四国八十八カ所の霊場を開くように命じられます。また、同年の秋に松太郎は木村マツと再婚します。
 相変わらず貧しい生活が続くものの、松太郎を頼って訪れる人々が次第に増えていきました。そのような人々に松太郎は、仏様に「頼む一念」というまことですがり、行じていくならば、仏様から導かれ救われていくことを教えていきます。