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中山身語正宗の紹介

中山身語正宗の紹介

立教・立宗

中山身語正宗 (なかやましんごしょうしゅう)を開かれた宗祖覚恵上人 (しゅうそかくえしょうにん)は、幼い頃より仏様の声を聞くことのできる不思議な少年でした。そして成長されるにつれ、仏様のいわれるままに、あちらのお堂、こちらの神社と、お行(修行)を積んでいかれました。
境内の全景航空写真
 

大正元(1912)年2月18日、仏様が

この度、根本大悲の親は頼む一念身語正と開くぞ。
日本の国のすみずみから、世界の国のはしばしに至るまで、
ひらいて助けてゆくぞ。

この度、根本大悲の親は頼む一念身語正と開くぞ。
日本の国のすみずみから、世界の国のはしばしに至るまで、ひらいて助けてゆくぞ。

と宣言され、宗祖覚恵上人に身語正 (しんごしょう)という仏教の新しい法門(教え)を開くように示されました。
そこで本宗では、この日を「立教の日」と定めています。
仏様は続けて

身語正とは『身(み)に正(まさ)しく如来の語(ことば)を授かる』との謂(い)なり。

と、「身語正」の意味をお示しくださいました。

この「身語正」ということばは、本宗の教えの根本でもありますので、宗名とすることになりました。また「中山」とは、大本山瀧光徳寺 (りゅうこうとくじ)周辺の古い地名です。
「中山身語正宗」とは、「中山」の地で、「身語正」という新しい法門(教え)を開くぞ、という仏様の「おことば」に由来します。

戦後になり、日本国憲法が施行され信教の自由が保障された後、身語正第二世覚照 (かくしょう)猊下は、昭和21年6月27日、宗教法人令に基づき「中山身語正宗」を立宗し、昭和27年7月5日「中山身語正宗」は包括宗教法人の認証を受けました。

本宗は、大本山瀧光徳寺(佐賀県三養基郡基山町)内に宗本部を置き、関東別院誓照寺 (せいしょうじ)(千葉市)をはじめ、日本全国に約300カ所の布教拠点を有する仏教の宗団です。

※元号が大正に改元されたのは7月30日ですので、厳密には明治45年2月18日になりますが、立教には新しい時代を象徴する大正がふさわしいとの思いから、本宗では大正元年と呼んでいます。


ご本尊

ご本尊中山不動尊

本宗の教主である「根本大悲の親(こんぽんだいひのおや)」と名乗られた仏様は、大正元(1912)年2月18日に、私たちの目に見える姿でこの世に出てこられるとき、

「中山不動と世に出(い)ずるぞ」

と宣言されたので、私たちはその仏様を本宗のご本尊「中山不動尊」としておまつりしています。

「中山不動尊」は、岩座の上に立つ赤身の立像です。私たち苦しむすべての衆生を助けんがために、左足を半歩前に出されており、火焔光背は舟形になります。
このお姿は、宗祖覚恵上人が仏様から授かられたままのものであって、本宗の教主「根本大悲の親様」が、身語正行者の行願をことごとく成就させてやりたいと願われ、顕してくださったお姿です。


宗祖覚恵上人

本宗の開祖である宗祖覚恵上人は、大正元(1912)年に本宗「立教」の「おことば」を授かり、その翌年に「高野山へのぼれ」との「おことば」に従って高野山で得度し、僧名「覚恵」を拝受されました。
大正6(1917)年、坊住山山頂霊々石(たまたまいし)の上で毎日般若心経300巻を唱える三年三月の行願に入り大正9(1920)年に成満され、大正10(1921)年には「瀧光徳寺」を開創され、日本国内をはじめ朝鮮半島や中国大陸にも教勢を広げられました。

そして昭和17(1942)年1月5日、寂を示されました。享年72歳。

宗祖覚恵上人について詳細は こちら
宗祖覚恵上人御影