HOME | 「宗祖覚恵上人」略伝【3】

中山身語正宗のあゆみ

中山身語正宗のあゆみ

「宗祖覚恵上人」略伝

平戸で日参された金比羅神社

平戸で日参された金比羅神社

【3】転機そして俗世との決別 〜仏様の心のままに〜

 平戸でも漁をしながら、近くの金比羅神社にお参りする日々を送ります。仏様からは早く衆生済度(人々を迷い苦しみから救って悟りの境地に導くこと)に立つように催促をされますが、家族を養うためには仕事を捨てきれません。その年の末、苦しい生活をしいられている家族のために少しでも収入を得たいと無謀にも大荒れの海へ漁に出て、遭難(そうなん)してしまいます。
 その時、出現された金比羅大権現に窮地(きゅうち)を脱しようとして、「ご法のため一切衆生のために自分の身体を仏様に捧げる」ことをお誓いしたのです。そして1週間の漂流の後、奇跡的に救われたのでした。

 明治44年、仏様との約束に従い家族を連れ基山に帰郷した松太郎は、仕事にもつかず、仏様から授かる「おことば」のまま、明けても暮れてもお行に身を任せることになります。
 しかし、この年に妻チエも失うことになりました。

 悲嘆と生活苦に打ちのめされた松太郎は、3人の子供を連れて菖蒲坂池で入水自殺を図ります。
 それは、「生活をとるか、信仰をとるか」の選択に迷う松太郎が、生活を選ぶがゆえに生きることにも行き詰まった姿でした。しかし、すんでのところで、仏様から授かる「おことば」による叱責(しっせき)と励ましで思いとどまります。
 まさにその時「仏様が絶えずわが身と共にあること、衆生済度のために生も死も捨て、仏様に自らの身を捧げることこそが生きる大道であること」を松太郎はついに自覚したのでした。