HOME | 「宗祖覚恵上人」略伝【7】

中山身語正宗のあゆみ

中山身語正宗のあゆみ

「宗祖覚恵上人」略伝

華厳宗東大寺より導師を迎えた秋季法要

華厳宗東大寺より導師を迎えた秋季法要

【7】布教教化 仏様から授かる「おことば」のままに 〜広がる仏様のこころ〜

 お参りされる信者が増えるに従い、本堂の建立が待ち望まれていましたが、新しい寺の建立は簡単に認められないのが、当時の社会状況でした。
 そのため、恩師の津田実英師のご尽力で和歌山県の古寺を移転改称し、大正10年4月28日には「瀧光徳寺(りゅうこうとくじ)」としての認可を受け、本堂を建立します。

 当時、新たな宗教の立宗は政府により認められておらず、布教活動は高野山真言宗のもと、国策であった貯蓄奨励の政策に乗じて行なわれ、各地に支部を設置し、組織として拡大するようになります。昭和6年には本堂やご宝蔵堂などの法城建立が始まります。
 ところが、時代の変化の中で、それまでの布教のあり方は限界に達していました。そこで、昭和8年仏様から授かる「おことば」に従って華厳宗(けごんしゅう)東大寺に入宗し、「華厳宗 八宗兼学華厳道場大日教会」が認可され、発会します。華厳宗の中にあっても本宗の独自な布教活動を維持することが可能となったのです。

 覚恵上人は仏様から授かる「おことば」のままに東奔西走の布教活動を行い、それまでにもまして精力的となり、その結果国内はもとより国外まで教勢は広がります。