平成29年・バックナンバー

平成29年10月
「学びの森」を歩く (4)

学びの森



学問のある経験を積み重ねることにこそ、次の解決策はある
 わたしたちが「今なすべきことを怠けず努める」ためには、多くの場合、自分のしてきた経験を大切な拠り所として実行するしかありません。

 フランスには、「学問のない経験は、経験のない学問に勝る」ということばがあるそうです。

 生きものとしての人間が生きていくために最も大切なことは「経験」することでした。わたしたちは、経験することで「何を、どうすることが」生きるために大事なことかを、身をもって確信できるからです。本来経験には理屈はいりません。だからこそ「百聞は一見にしかず(百聞いて学ぶよりも一つ経験した方が確かだ)」といわれるのです。しかし、その経験万能主義が大きな岐路に立たされることがあります。それが「せっぱつまった土壇場」におちいる時です。わたしたちが「せっぱつまった土壇場」におちいる前には、必ず今までの経験をフル動員して問題解決のために精一杯の努力をしたという自負があったはずです。にもかかわらず、そこに解決の道を見出すことができなかったからこそ、今や「せっぱつまった土壇場」におちいってしまった訳です。

 では、そんな時、わたしたちは次にどのようにすればいいのでしょうか。その一つが、実は人間の叡智の集積である「学問」が見いだした知見に基づいて自分の今までの経験値では考えられない道を信じて、新たな一歩を踏み出す。それが、新しい道を開く解決策になることがあります。ですから、最初のことばは、本当は
「学問のない経験は、経験のない学問に勝る。そして、より勝れたものは、人類の経験の集積である。学問のある経験を積み重ねることにこそ次の解決策はある。」
とすべきかもしれません。

 信仰は、わたしたちが「せっぱつまった土壇場」におちいった時、そして、人間の叡智を集積した学問も十分に備えていない時、神仏の示して下さる道を「信じて歩く」ことが、新たな解決策となる、ことが確かであったことを教えてくれます。

 こうした信仰は、実は「なぜその時、神仏はそうした道をこのわたしに示して下さったのか」を改めて自分に問いかけ直し、そこから、神仏の智慧に気づかせていただくきっかけがあったのであり、それを気づかせていただくことが求められていたということをもう一度味わい直しておきたいものです。

 仏教という「学びの森」の歩みには、こうした気づきと味わい方をせよというみ仏のみこころがあったのです。(乘慶)



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