中山身語正宗

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平成29年04月

色即是空 空即是色 (4)

人は「本質がない(空)」からこそ、どのようにでも育っていける

 『般若心経』では、「色即是空、空即是色」の後に「受・想・行・識もまたまた空なり」と説かれていたことは前回ご紹介した通りです。

 人には「身体」と「こころ」とがありますが、その両方が共に「空」であるという「ものの見方、考え方」は、身体もこころも常に変化し続けている事実を改めてしっかり自覚して欲しいという願いが込められているように思えます。

 人はだれでもこの世に産み落された時、先天的に授かった能力以外は、ほとんど何も持たなかったはずです。ですから、自分の一生を無事に生き抜くためには、たくさんのことを学んでいかねばなりません。わたしたちが学ぶべきことの大半は、実は親から学び、自分の周りにいる人々から学び、あるいは学校の教師たちから学ぶことになります。こうして学んだことを基にして、わたしたち一人ひとりは「自立する力」を得、その一生を無事に生き抜くことになります。

 近年この「自立する力」を得るための学びをわたしたちがどのように得ていくのかを考えるに当って大切なものが「社会的相続」と名づけられるようになってきました。そして、その社会的相続の柱となるものが「経済力(お金)」「学力」「非認知能力(認知能力といわれる学力以外の意欲、自制心、やり抜く力、社会性などのこと)」だといいます。

 人は、身体にもこころにも「本質がない(空である)」からこそ、どのような「人」としても育っていけるのです。こうしたものの見方、考え方は、仏教の中心思想である「縁起」を改めて自覚させてくれます。

 「社会的相続」を受ける人は、「社会的相続」を与える側の正しい導きを得なくてはなりません。正(まさ)しく「因(直接原因)」としてのわたしが「縁(条件、間接原因)」としてのさまざまな人との出会いの中で「どのように育てられるか」ということなのです。(乘慶)

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