中山身語正宗

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平成28年12月

なぜ信仰するの?(10)

今、ここに在る、すべての縁を、尊く感じて生きるために 

 仏教という「信仰」は、この世界を創造する唯一絶対の神やあるいは多くの神々を立てることはありません。わたしたちは、こう考えています。「今」「ここに」「このようにして」在るこの世界のすべての物事は、縁あって「今」「ここに」「このようにして」在るに過ぎない、と。そして、この世界のすべての物事の内、人間が努力すれば、ある程度、自分の願ったように新しく作っていけるものと、わたしたちがいくら努力しても、自分の思い通りにはしていけないものとがある。この事実をしっかりと見究めなければならない。この見究めのために必要なこと、それが「あるがまま」を「あるがまま」に見ようとするわたしたちの「心(ものの見方・考え方)」なのだ。

 人間は、生き続けなければならず、他の多くのものと共々に生き続けなくてはならず、生き続けることに自分が本当に得心できる「意味」を見いださねばならない「生きもの」なのです。

 仏教を開かれた「覚られたお方」仏陀・釈尊は、人間が真に生き続ける本当の「意味」をしっかりと確信されたお方でした。だからこそ釈尊は、縁あってこの世界に「今」「ここに」「このようにして」在るすべてのものは平等であること。そして、そのすべてのものは生き続け、在り続けようとしていること。その生き方、在り方に対して、わたしたちが心底から納得できる「意味」を見いだし、生きることを「尊く」「ありがたく」それ故に「大切に」生きていくことを願ってくださったのです。

 わたしたちの生涯は、たかだか100年に過ぎません。でも、この世界に縁あって「今」「ここに」「このようにして」生き続け、在り続けているすべてが、尊く、ありがたく、大切なのです。

 仏教という「信仰をする」ということは、こんなありがたさを日々味わいつつ、生きていきたいと願うことでもあったのです。

 いかがでしたでしょうか。10回にわたってお話しさせていただいた「なぜ信仰するの」という問いに、少しは、自分なりの答えを出す参考にしていただくことができたでしょうか。(乘慶)

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