中山身語正宗

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平成28年7月

なぜ信仰するの?(5)

み仏との真の出会いによって授かるものとは

仏教の開祖「釈尊」がご在世当時の人々は、生きておられた釈尊に直々にお会いし、その教えを聞いていました。たとえば仏典が伝えるキサー・ゴータミーのように。

キサー・ゴータミーは、幼いわが児を亡くした悲しみをどうしても受け入れられず、「この児の病を治してくれる人はいないか」とわが児の骸(むくろ)を胸に抱いて町中をさまよい歩いていました。その姿を憐れに思ったある人が、町はずれの森におられた釈尊を尋ねてみよ、と教えてやりました。

キサー・ゴータミーは直ちに釈尊のもとに行き、わが児の病を治してくれと懇願したところ 釈尊は「この児の病を治すには4~5粒の芥子の実がいる。町へ行って芥子(けし)の実をもらって来なさい」と教えました。芥子の実はどこの家にでもあるものであったため、キサー・ゴータミーはよろこび勇んで町へ行こうとしました。すると釈尊は「どこの家の芥子の実でもいいという訳ではない。今迄一度も死人を出したことのない家の芥子の実でなくてはならない」といわれたのです。「わかりました」そう答えてキサー・ゴータミーは町へ行き、一軒の家を尋ねました。「芥子の実を4~5粒下さい」「お安いご用だ」「あなたの家では、今迄死人を出したことはありませんか」「いいや、昨年父が死んだ」「ああ、だめだ」こうして次々に家を尋ね歩いたものの、一軒として死人を出したことのない家に巡り会えなかったのです。

こんなむなしい訪問をくり返している内に、キサー・ゴータミーは、次第に冷静になっていき、遂に「わたしは騙された。今まで死人を出したことのない家などあろうはずがないではないか」とはっきりと自覚したのです。そこで直ちに釈尊のもとに戻り、釈尊を激しくののしったのです。

釈尊は、キサー・ゴータミーが、すっかり冷静になっていることを確認すると、「その通りだ、生あるものは必ず死ぬ。お前の児とて例外ではない。そして、死んだ者は、決して生き返らせることはできない。お前の児は既に死して久しい。さあ一時も早く心よりとむらってやるがよい」とやさしく諭されたのです。この釈尊の慈愛あふれる諭しをきいてキサー・ゴータミーは、ようやくわが児の死を受け止めることができ、精一杯のとむらいをしたのでした。葬儀を無事済ませたキサー・ゴータミーには、「真実」を慈悲深く教え諭してくださった釈尊を心より慕う気持ちが生まれ、釈尊の弟子の一人となって、その生涯を仏道修行者として送ったと伝えられます。

仏との真の出会いは、わたしたちに「真の人生」を実現するとは何かを気づかせて下さるものだったのです。

中山身語正宗の信心では、〈おじひ〉を授かるという宗教体験を通して、「仏との出会い」を実感させていただきます。そして、「〈おじひ〉の体験」を通して、「み仏からこころを授かる」ことを最も大切なことと確信させていただいています。

では、「み仏からこころを授かる」とは、どういうことなのでしょうか。それは次回にお話ししましょう。(乘慶)

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