中山身語正宗

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平成28年5月

なぜ信仰するの?(3)

中山身語正宗の〈おじひ〉

中山身語正宗という信仰は、「身語正」と名付けられた仏教の信心です。この信仰は、宗祖覚恵上人(1870~1942)に「〈おじひ〉の親」たるみ仏より託され、持ち出されました。中山身語正宗という信仰のことを初めて見聞きされた方々にとっては、この〈おじひ〉というのが一体何のことなのかお分かりにならないことでしょう。では、最初に〈おじひ〉に対するイメージを持っていただくために、〈おじひ〉のことを少しお話ししておくことにいたします。

みなさんは、マザーテレサという人をご存知でしょうか。カトリックの修道女で、インドを中心に世界中の最も貧しい人々に奉仕する活動を展開し、その功績が認められてノーベル平和賞を受賞された方です。

マザーテレサは、幼い時に修道院に入り、その生涯を神に捧げる決意をされ、修道院を出てその活動を実践したいと願われました。しかし「どこで」「誰に対して」「どのような活動をすることが」自分の生涯を神に捧げた活動になるのか、具体的に考えることができなかったそうです。そこで彼女は、日夜神に祈って、神の教えを乞うたところ ある日「世界で最も貧しい人の暮らす地へ行って、その人々に奉仕しなさい」という神の声を聴いたといいます。そして、当時の彼女の知識の範囲で思い当たった地が「インド」の都市部で「路上で生まれ、路上で死んでいく」といわれる人々だったのです。マザーテレサは、ただちにインドに赴き、自分が目の当たりにした「路上で死にゆこうとしている人々」を一人また一人、自分の開いた教会に連れ帰って、その人々に「あなたも神より生命を授かった尊い人間」であることを伝えていかれたのです。

このマザーテレサのエピソードにある「神の声」を聴いたという体験を中山身語正宗では「〈おじひ〉の体験」と呼んでいます。そして、〈おじひ〉とは、神仏より授けていただく「語(ことば)」のことだと理解させていただいています。本宗は仏教の信心ですので、その〈おじひ〉をわたしたちに授けてくださるお方を「〈おじひ〉の親」たるみ仏と呼ばせていただくのです。

本宗では、〈おじひ〉は本来すべての宗教にあるものと理解した上で、改めて本宗における〈おじひ〉がいかなるものかをしっかりと受け止め、理解を深める大切さを学ぼうとしているのです。

また本宗では、〈おじひ〉の体験を嘘、偽りではなく本当にさせていただける本宗の信心の核心にあるものとして「身語正」と命名していただき、「身語正」という仏教の信心をいかに正しく理解し、実践していくかが最も大事なことと確信してきました。

わたしたちが生きている姿は、詩人高村光太郎が「道程」という詩でうたった通り、自分の歩いてきた今日までの日々は、一本の道として残っています。しかし、これから歩く道である未来は、一足(ひとあし)分もまだ出来てはいません。すなわち、わたしたちが「生きる」ということは、未知の世界へ足を踏み込むことだったのです。

何が起こるか、本当は何も分からないわたしたちの人生を時々刻々歩き続けないといけないわたしたち。そんな不確かさを実感した時、わたしたちは、神仏への祈りを通して、より確かな歩みをさせて欲しいと願わずにはおれなくなる時があります。「なぜ信仰をするのか」という問いかけが自分の胸の中に起こってくる時、わたしたちは、こんな思いを持っていたに違いありません。そんなわたしたちに対して、神仏からかけていただく「語(ことば)」それが〈おじひ〉だったのです。(乗慶)

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