中山身語正宗

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平成30年10月

第1部 菩薩の道 

⑩菩薩の誓願

 「菩薩」という言葉が、最初は、悟りを開く前の、修行段階にいる釈尊自身を指していた、というお話をしました。釈尊の入滅後、「偉大なる釈尊は、おそらく前世から修行を重ねていたに違いない」という発想から仏伝文学が作られていきますが、そのなかに「燃灯仏(ねんとうぶつ)授記」というものがあります。

 釈尊は遠い過去世、スメーダという名のバラモンの青年でした。彼は燃灯仏(定光仏・じょうこうぶつ)に出会った時に「菩提心」を起こし、必ずみずから仏になるという「誓願」を発します。彼が五茎の蓮華を仏に献じ、自分の髪を解いてぬかるみに敷いて仏を渡したところ、仏は「あなたは未来世において釈迦牟尼仏という名の仏になるだろう」という予言(記別)を授けました。このように仏が弟子(修行者)に対して、将来必ず仏になることを予言し、保証を与えることを「授記(じゅき)」といいます。灯明をともす仏である燃灯仏から灯火が点ぜられ、授記を得て、すでに仏と成ることが確定した修行者である「菩薩」が誕生したのです。つまり、菩薩とは、すでに仏となることが確定しているが、まだ仏ではない修行者のことを指しているのです。一般には、修行の結果、仏になることから、修行中の状態を「因位」、仏になった状態を「果位」と呼びます。

 菩薩には行(実践・修行)と願(誓願・誓い)が欠かせません。

 このうち、行については、これまで六波羅蜜の修行内容を見てきました。今回は、願(誓願)についてお話ししたいと思います。

 仏教でよく知られている誓願に、「四弘(しぐ)誓願」(宗派によって異同あり)があります。


  衆生無辺誓願度(衆生は無辺なれど、誓って度せんことを願う)
  煩悩無量誓願断(煩悩は無量なれど、誓って断ぜんことを願う)
  法門無尽誓願学(法門は無尽なれど、誓って学せんことを願う)
  仏道無上誓願成(仏道は無上なれど、誓って成ぜんことを願う)

 密教では、この四弘誓願を基盤に、煩悩もまた悟りに生かせるとして、上記第二句の代わりに「福智無辺誓願集(福智は無辺なれど、誓って集めんことを願う)」と説き、また如来への信を強調して、第三句と第四句の間に「如来無辺誓願事(如来は無辺なれど、誓って事(つか)えんことを願う)」を入れて、五大願とします。五大願は各々、五智の成就に対応し、五智如来の誓願になっています。最後の一句は、誓願の功徳を自他即ち法界の一切の衆生に平等に廻らし施して、自利利他の仏道成就を願って称えられるものとされます。


  衆生無辺誓願度:大円鏡智〔一切諸法を明鏡のように照見する〕:阿閦(あしゅく)如来
  福智無辺誓願集:平等性智〔差別を離れて諸法の平等性を見る〕:宝生(ほうしょう)如来
  如来無辺誓願事:妙観察智〔平等性の中に各々の特性を見る〕:無量寿如来
  法門無辺誓願学:成所作智〔化他の行為を成就させ完成へ導く〕:不空成就如来
  菩提無上誓願証:法界体性智〔前四智の根本総体で諸法の体性〕:大日如来
  自他法界同利益(本宗では、自他法界平等利益となっております)

 また大乗仏教では、地蔵菩薩、観音菩薩、文殊菩薩など、衆生済度のために如来が形を変えて現われたとされる菩薩摩訶薩(菩薩大士)が知られています。

 次回からは、「第2部 さまざまな菩薩」と題し、これらの諸菩薩について、少し詳しく学ばせていただきたいと思います。 (棟高)

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