中山身語正宗

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平成29年11月

「学びの森」を歩く (5)

「一期一会」を体得して生きる

 自分自身の人生を生きるということを「学びの森」を歩くことに喩(たと)えてみると、その「学び」とは何であるのかが気にかかります。茶人の世界でよく語られる「一期一会」は、禅の修行者によって、よく語られたことばからの借用であったといいます。「一期」とは、一生涯のこと。「一会」とは、後にも前にもないたった一度切りの出会いのこと、をいいます。

 詩人高村光太郎が「道程」という詩の冒頭に「僕の前に道は無い、僕の後に道は出来る」とうたったことばが思い出されます。なるほど、自分自身の人生を歩いている「今」の自分を改めて振り返ってみると、確かに私の歩いた「過去」という時間には、くっきりと私の歩いた跡である私の人生が残っています。

 しかし、未だ生きていない「未来」には、当然私の足跡など、たった一つもつけられてはいません。だから、そこに私の歩いた跡としての「道」もない訳です。「そうなのだ!」。私が生きるということは、全くまだ道となる私の足跡が一つもついていない「未来」に、「今」新しい自分の足跡をつけることなのだ。それは、まさしく「一期一会」今行っている足跡だったのではないのか。

 そう思い至った時、その「一期一会」の足跡を「今」残しつつ「それは、私にとって、私の人生にとって、一体どんな意味をもつのか」と考えていること、それが自分自身の人生を「学びの森」とすることであり、私が生きることこそ、その学びの森(一期)を本当に生きる(一会)ということであった、と気づくことかもしれない。

 こうした気づきを本当に自分自身の腹の底に落とし込めた人は、それ以降の自分自身の人生の生き方を「一期一会」を体得した人の生き方として生きられるに違いありません。(乘慶)

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