中山身語正宗

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平成30年4月

第1部 菩薩の道 

④六波羅蜜(2)持戒

 今回は、持戒波羅蜜のお話です。「戒」という言葉は、インドのサンスクリット語「シーラ」を訳したもので、持戒波羅蜜のことを尸羅(しら)波羅蜜とも言います。

 「シーラ」には、繰り返し行う(習慣)という原義があり、戒にはもともと「良き生活習慣づくり」という意味があります。一方、集団で修行を営むサンガ(僧伽)の生活規則を「律」といいます。これは「取り除く」「教育する」という意味を持つ「ヴィナヤ」の訳語です。この戒と律を合わせて「戒律」と言いますが、仏教教団の修行規則を自発的、自律的に守ろうとする精神を表しています。

 釈尊は、仏・法・僧の三宝に帰依することを誓った在家信者(男性は優婆塞《うばそく》、女性は優婆夷《うばい》)に対して、布施に加えて、①不殺生、②不偸盗、③不邪婬、④不妄語、⑤不飲酒(おんじゅ)という五つの戒律を守ること(持戒)を教えたとされています。さらに八斎戒(さいかい)といって、六斎日(天の神々が人間の行いを監視するとされる毎月8、14、15、23、29、30日の六日間)には、先の五戒に加えて、「食事は午前中のみとすること(不非時食)」「歌舞音曲に親しむのをやめること(離歌舞観聴)」「香油を体に塗るのをやめること(離香油塗身)」を加えた八つの戒を守ることで、出家生活に一歩でも近づくことを教えています。

 二十歳未満で出家僧(男性は比丘《びく》、女性は比丘尼《びくに》)をめざす沙弥(しゃみ)(比丘志願者)、沙弥尼(比丘尼志願者)は、この八つに「ぜいたくなベッドに寝ないこと(離高広大床)」「金銀宝物に触れないこと(離金銀宝物)」という二つを加えた十戒を守ります。

 さらに比丘は250、比丘尼は348もの戒律を守ること(四分律)が求められ、現在でも、東南アジアを中心に行われている上座部仏教(テーラヴァーダ)では、釈尊の時代の仏教をほぼ踏襲する形で僧侶が托鉢をしたり戒律を守ったりしています。

 戒はまた、仏教徒の修道を説く三学(戒・定・慧)の筆頭に位置づけられます。智慧を得るには禅定が必要であり、禅定を得るためには戒律が必要であると説かれるように、持戒は修行者が仏道を実践していく上で最も基本となるものです。釈尊は、三学の実践形として八正道を説かれますが、そのなかで、正業、正語、正思惟は各々身・口・意の三つを整える持戒に相当し、これらによって正しい生活(正命)が成り立つと説明されます。

 日本でも、明治の初め頃までは、僧侶には厳しい戒律の遵守(じゅんしゅ)が求められていました。しかし、日本では聖徳太子の時代から在家主義の大乗仏教が主流になり、大乗の戒律が広がりました。大乗仏教では、本宗でも日々お唱えする十善戒が基本で、得度式では「よく保つ」と、十善戒を守ることを声高らかにお誓いします。これによって得度者には「戒体」というものが備わり、これが仏道を歩む上で戒を守り続ける原動力になるとされます。

 十善戒とは、人間の行いを「身体でする行い(身業)」、「言葉づかい(口業)」、「心の働き(意業)」の三つ(三業)に分けて、以下の十項目を守ることを勧めるものです。

   ①身業 不殺生 ― いのちを大切にする。

       不偸盗 ― 他人の財物を盗まない。

       不邪婬 ― 不倫をせず、性道徳を守る。

   ②口業 不妄語 ― 嘘をつかない。

       不綺語 ― お世辞を言わない。無駄話をしない。

       不悪口 ― 他人の悪口・陰口を言わない。暴言を吐かない。

       不両舌 ― 二枚舌(人を仲違いさせる言葉)を使わない。

   ③意業 不慳貪 ― ものおしみ、むさぼりの心を慎む。

       不瞋恚 ― 怒りの心を抑え、忍耐の心を持つ。

       不邪見 ― 誤ったものの見方・考え方をしない。

 この中でも根本となるのは意業です。心がもとになって言葉や行動に表れるからです。そのため私たちは、日々の勤行の中で「懺悔文(ざんげもん)」をお唱えし、無意識のうちに積み続けている「貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(おろかさ)」の三つの煩悩(三毒)を懺悔させていただくのです。

仏教とは何かを端的に表したものに、「七仏通戒偈」があります。「諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) 自浄其意(じじょうごい) 是諸仏教(ぜしょぶつきょう)」という漢訳で知られていますが、これは「ブッダの三教」とも呼ばれ、原文(パーリ語)を直訳すると、「いかなる罪悪も作らないこと。あらゆる善を具足する(身につける)こと。自らの心を完全に浄らかにすること。これが諸仏の教えである」という意味になります。一言で言えば、止悪修善によって心を浄めるのが仏教だということです。本宗では「宗祖の三教」によって、この善と悪の基準について、親、ご先祖、世の人々を喜ばせることが善、悲しませることが悪である、とお示しいただいています。(棟髙)

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