身語正の教え
「頼む一念身語正」とは 「助けてゆくぞ」とは
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「助けてゆくぞ」とは
真の「やすらぎ」と「幸せ」
 本宗立教の日のみ仏のおことば(「宗祖のご本願」)の中で、み仏は「頼む一念身語正」という信心をする人間を「助けてゆくぞ」と宣言されました。

 この「助けてゆくぞ」には次の二つの意味があります。



「困苦からの救済」真の「やすらぎ」のために
まず目の前の苦を取りのぞき、助けていく。
それとともに、その苦をもたらした悪因(悪縁)を気づかせ、新たに善因(善縁)となる正しい生き方を授けようというものです。

 「頼む一念」で行じていくと、み仏は様々な働きかけ(「身語正」)を授けて私たちを救おうとされます。その時に素直な気持ちでわが身を振り返ってみると、多くの場合、苦悩や悲しみ(苦果)が、自らのいたらない言動や性格(悪因)に起因することが分かってくるのです。
鶯
 そして、人間としてやすらぎのある生き方(楽果)をするためには、自らのいたらぬ言動や性格を正し、人格の向上を図った生き方(善因)をしなければならない事をみ仏から気づかせてもらうのです。
〔善因楽果(よいことをすれば幸せを授かる)。悪因苦果(悪いことをすれば苦を受ける)



「人間としての成長」真の「幸せ」のために
上記の「困苦からの救済」によって、「やすらぎ」のある生き方を学び、それを実践するとともに、身語正の利他行(「慈と悲」の行)を通して、「み仏のこころ」(智慧・慈悲)を授かり、真の「幸せ」を授かった人生を歩みなさいと教えられるのです。

 「頼む一念身語正」で行ずることにより、“み仏のこころ”を授かり、我が身だけにとらわれず、身語正の利他行を行いなさいという教えです。つまり、人間としての真の幸せは、我が身の幸せに満足するのでなく、自他共に幸せになる生き方をすることであるとみ仏は教えられるのです。
木漏れ日
 この「助けてゆくぞ」の意味こそ、「世界の平和と万民の幸せ」を実現するための方法であると、み仏は教えられるのです。


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