平成30年・バックナンバー

平成30年02月
第1部 菩薩の道

学びの森



②菩提とは何か
 菩薩とは、「菩提薩埵(ぼだいさった)」の略語でした。では「菩提」とは、何のことでしょうか。

 菩提とは、仏の悟りの智慧(ちえ)のことで、一切の煩悩から解放された迷いのない状態を言い、涅槃(《ねはん》煩悩が吹き消され、すがすがしい心身の状態になった境地。心の安らぎ)とも同じ意味であると説明されます(『岩波仏教辞典』)。智慧は、インドの言葉でプラジュニャー(サンスクリット語)、パンニャ(パーリ語)と言い、これを漢訳した言葉が「般若」です。仏の智慧は、人間的な知性や理性を越えているので「無分別智(むふんべっち)」とも言われます。一般に「分別がない」という言葉は悪い意味で使われますが、仏教語としては、「無分別」は目指すべきすばらしい境地を表します。また「成仏」という言葉の第一の意味も、この仏の智慧(正覚)に到ることです。そのため後に、祖先など亡き人の成仏を祈り冥福を修めることを「菩提を弔(とむら)う」と言うようになりました。大乗仏教になると、「四智」「三智」など体系的な説明がされるようになりますが、また機会を改めて説明させていただきます。

 菩薩が仏になるまでには五十二もの段階(十信・十住・十行・十廻向・十地・等覚・妙覚)があると言われます。十地以上が聖者の位とされ、十地は十波羅蜜に対応すると説明されています(『華厳経』)。十波羅蜜とは、六波羅蜜(布施《ふせ》・持戒《じかい》・忍辱《にんにく》・精進《しょうじん》・禅定《ぜんじょう》・智慧《ちえ》:詳細については次回から順次ご説明いたします)に、方便(ほうべん)〔慈悲心に基づいて他者を救済する手段〕・願〔衆生を済度しようとする誓願〕・力(りき)〔衆生を救う実行力〕・智〔衆生や世間のことすべてを知る智慧〕の四波羅蜜を加えたもので、六波羅蜜は菩薩の自利行、四波羅蜜は菩薩の利他行に相当します。これらの各波羅蜜は相互に関連し合い、一つひとつの波羅蜜行の成就は、階段を上るような単純なステップにはなっていません。

 この波羅蜜行を成就してゆくことが、菩薩が仏に至る道(菩薩道)です。波羅蜜(はらみつ)とは、「パーラミター」という言葉に由来し、「完成」とか「悟りに至る(到彼岸《とうひがん》)」という意味があります。しかし「完成」は、完成してしまうと「完成」ではなくなってしまうのです。完成をめざして不断に精進努力していく過程こそが重要であり、どの段階でも、そこに執着してとどまるならば、その段階の「完成」は失われてしまうと言われます。このように波羅蜜行を成就してゆく道には、仏の智慧に裏付けられた奥深さが秘められています。

 仏教の真理には、言葉で示される世俗的真理(世俗諦《せぞくたい》)と、言葉を超越した究極の真理(勝義諦《しょうぎたい》)の二つがあり、これを二諦説と言います。釈尊は、悟りを開いたとき説法をためらいますが、それは悟りの世界が究極の真理であり、言葉では表現できない奥深いものだからです。同じ事を宗祖上人は、「真界(しんかい)は玄微(げんび)にして言説(ごんぜつ)の顕(あらわ)すところにあらず」と表現しておられます。この究極の真理に到達しなければ、涅槃(ねはん)に至ることはできません。インドの最高神、梵天(《ぼんてん》ブラフマン)の三度にわたるご催促(勧請《かんじょう》)によって、釈尊は「究極の真理は説くことができないが、そこに至る手がかりとして世俗的真理(方便)を示すことはできる」と悟られ、布教説法を決意されたのです。だからこそ今日の仏教があり、本宗の私たちも、その教えの流れにあずかることができるのです。

 釈尊は大慈悲心により、相手の状況やレベルに合わせて説法をされましたので、その教えは八万四千の法門と呼ばれる膨大なものになりました。言葉で説かれる以上、すべて世俗的真理にすぎません。しかし私たちが究極的真理へ向かうには、この世俗的真理を手がかりにするしかないのです。ここに仏教の教えを学ばせていただくことの大きな意味があります。ただ釈尊は、言葉の世界にとらわれて本質を見失うことがないように「いかなる経文(きょうもん)も、迷いの此岸(しがん)から悟りの彼岸(ひがん)へと渡る筏(いかだ)にすぎない。向こう岸へ着いたら執着せずに捨て去るべきだ」と説示されました(筏の比喩)。

 私たちは言葉で示される教えを頼りに菩薩道を歩みますが、言葉は分別を生み、煩悩を増し、無分別智の獲得を妨げます。本当の心の安らぎは、言葉による教え(学)が実践体得され、自分のものになった時に到達できます。この時、教え(学)への執着は捨て去られ、今度は周囲の人々をおみちびきする方便として、また再活用されるのです。宗祖上人が「信を学におくなかれ」と説かれた深い意味に気づかせていただきたいものです。(棟髙)

菩薩から仏に到るまで
(五十二位の修行階梯)
 妙覚(仏位)

 聖
 等 覚
 (一生補処)
  十 地
 十 廻 向

 凡
  十 行
  十 住
  十 信

※十地が十波羅蜜に対応。初地は歓喜地と呼ばれ、ここに入ることが信心決定(けつじょう)(悟り)とされ、この位から聖者の仲間入りになります。一生補処とは、次に生まれ変わるときには仏になれるという菩薩の最高位で、弥勒菩薩の位とも言われます。



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