平成28年・バックナンバー

平成28年9月
なぜ信仰するの? (7)

学びの森



すべてのものと共に生きる「共生き」
 わたしたちは、「なぜ信仰するの」か。自分に授けられた自分の「生命」は、自分しか生きられないものであり、その「生命」は、かけがえのないものであるから、「いかに生きるべきか」が大問題になります。その大問題の解決を目指して本当に得心できる生き方を、「信仰する」ことによって実現させていただけると確信するからこそ、「信仰する」のではなかったでしょうか。

 人間の生き方は、千差万別、多種多様です。きっと、たった一つも、同じ「生き方」などないに違いありません。よく、同じ両親から生まれ、同じように育てられているはずなのに、あの兄弟は、どうして、あそこまで違う生き方をすることになったのだろう、といわれることがあります。本当に考えれば考える程、不思議だな、と実感させられます。

 このように自分に授けられた生命を「どう生きるか」という生き様は、実は一人ひとりの人間にとって、最大の課題です。「信仰する」ということは、この課題に対して一人ひとりが、本当に得心できるよう答えるための、みちびきをいただくことだったのではなかったでしょうか。

 では、仏教は、「自分の生命をどう生きたらいい」と教えてくれているのでしょうか。

 仏教は、この世にあるすべてのものは、「縁起して」起こってきたものであるからこそ、「今」「ここに」「このように」して在る、と教えてくれます。そして、縁起して、このように在るすべてのものは、その価値においてすべて同じであって、優劣は一切ない、とも教えてくれます。だからこそ、「今」「ここに」「このように」して在る、そのすべてが、そのまんまで実に尊いのだ、ともいって下さるのです。

 優劣など一切ないすべてのものは、「自分のため」だけに在るのではなく、自分以外のすべてのものと共々に在ることに、本当に大事な意味があるのです。こうした考え方から、「共生(共生(ともい)き、すなわち一緒に生きる)」ということばも生まれてきました。

 だからこそ、仏教は、「自分の生命をどう生きたらいい」のかという問に対して、「自分一人が生きていければいい、と考えるな。すべてのものと共々に生きようと考え、そう行動せよ」と教えてくれるのです。

 佐賀県基山町に大本山を置くわたしたちは、4月14、16日に熊本地方から始まった大地震のただ中で生きるという体験をさせていただいています。そして、改めて、「共生き」を知らぬ間に自分の大切な生き方として、つながり合う人々との生き様をもさくさせていただいている自分に気づかされています。

 こうした生命と生き方に対する「共有感」こそ、信仰する者にとって最も大切な「慈・悲」心の実感であり、「慈・悲」行の出発点となっていたのではないでしょうか。(乘慶)



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