平成28年・バックナンバー

平成28年4月
「なぜ信仰するの?」(2)

学びの森



仏教は、実践実行する信心
中国の唐時代の仏教僧(道林禅師)と儒者(白楽天)の興味深いエピソードが伝えられています。ある日、その儒者が僧を訪ね、「仏教とは何か。一言で答えて欲しい」と問うたところ、僧は即座に「悪いことをせず、善いことをすること。これが仏教だ(諸悪莫作、衆善奉行)」と答えたところ、儒者は大笑いをしながら「そんなことは三歳の童子でも知っている」といったといいます。すると僧は平然とした口調で「その通りだ。しかし百歳になんなんとする老人でも、そのように行動する人は、ほとんどいない。だからこそ仏教者は、それを実行しようと努力するのだ」と答えたところ、その儒者は深くうなづき、「仏教とは、物事を正しく知るだけではなく、知った事を納得して、実行するものなのか」とおおいに感嘆したというのです。

信仰するということは、実はわたし自身が「いかに生きるべきか」を問い、そこで得心できたことを実際に実践して生きようとする生き方だったのです。

では、わたしたちは「信仰」に出会い、そこで何を得心し、何をなすべきかをしっかり学べたら、自分の生涯をかけて、それを「やってみせよう」とする生き方を実現していかねばなりません。すなわち、わたしたちが信仰するということはわたしの「出会った信仰」がわたしに「どの様な生き方をせよ」といっているのかを正しく学ばねばならないはずです。そして、そこで教えられることを十分に納得した上で、その教えに沿った「生き方」をわたし自身の生き方にしていく。これが信仰をもって生きる本来の意味だったのです。

では、仏教は、わたしたちにどの様な生き方をせよ、と教えてくれているのでしょうか。それは先にご紹介した中国のエピソードにある通りです。ここで、僧がいったことばは仏教で「七仏通誡偈」と呼ばれる教えの一部です。七仏通誡偈とは、この世に出られたとされる七人の仏たちが共通して説いたという教えのことをいいます。その全文は、漢訳経典では、「諸悪莫作(もろもろの悪を作さず)衆善奉行(もろもろの善を実行して)自浄其意(そして、自らその意(こころ)を浄らかにせよ)是諸仏教(これが諸仏すなわち七仏の共通の教えである)」というのがそれです。あのエピソードの僧は、この偈文の前半部分だけを「答え」として語ったのでした。

この世のすべての人が悪いことをせず、善いことをすすんで実行し、すべての人々の心が浄らかになったとしたら、きっとこの世の中は、真に平和な世界を具現していることでしょう。しかし、大半の人々がそのようにせず、自己中心的で自分勝手な行動をとっているのが現実です。仏教は、人間の現実は、そういうものであることを重々承知した上で、だからこそ「すべての悪を作さず、すべての善を実行しよう」と努力し、自らの心を浄らかにしようと努めるのです。

仏教は、常に「学び」それをかみしめ、得心できたらただちに実践、実行しようとする信心です。そのため、仏教の開祖「釈尊」は、当時の人々から「行為する人」と呼ばれていました。すなわち、仏教という信仰を自分の生き方として生きようとする人は、「行為する人」であって欲しいとみ仏から願われているということです。

では、わたしたちは、「身語正」という仏教の信心を「行為しつつ生きよう」とする時、日々何をしていったらいいのでしょうか。(乘慶)



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