平成27年・バックナンバー

平成27年10月
宗教学から見た中山身語正宗[8]


行と神秘体験 学びの森

人々の心を正しい信仰へと導く宗教体験(神秘体験)
宗教的な修行は不思議な宗教体験を伴うことがあります。これは「神秘体験」とも言われ、本人が信仰生活を継続していく上で重要な意味を持ってきます。
宗教学では、神秘体験は、「神や宇宙の究極的根拠などの絶対的なものを自己自身の内面において直接的・直観的に体験すること」(脇本平也『宗教学入門』講談社学術文庫)と定義されています。これは、いわゆるオカルト現象ではなく、むしろ仏教の「悟り」にも近い概念といえます。

アメリカの心理学者、ウィリアム・ジェイムズは、著書『宗教的経験の諸相』(一九〇二年)の中で、神秘体験の特徴を以下の四つに整理しました。
(1)言表不可能性…日常的な言葉や概念では言い表せないような性質をもつ。
(2)直観的洞察性…単なる知性では計り知れない直観的な真理への洞察が与えられる。
(3)一過性…鮮烈な体験であるだけに、短時間(ないしは一瞬)で過ぎ去ってしまう。
(4)受動感…自己の意志で得られるものではなく、突如として与えられる性質のもの。
すなわち神秘体験は、言葉では表現できず、論理的説明を超えた直観的な洞察をもたらし、長くは続かず瞬時に過ぎ去ってしまい、神仏などから一方的に与えられる受動的なものであるということです。

キリスト教では、このような神秘体験をきっかけに、これまでの生き方が大きく変わり、人格的にも洗練されていく「回心」が大切にされています。まさに神秘体験は「きわめて強烈な感銘を当人に与え、神の愛のよろこびや真理へのめざめなどで魂を満たし、心の内奥に新しい境地を開かせるもの」(前掲『宗教学入門』)といえるのです。
本宗にも、読経、瀧行、お百度、おすがりなど、さまざまな身体行の機会があります。み仏より〈おじひ〉を授かる体験にも神秘体験としての側面を見ることができるでしょう。たとえば、念仏はどうでしょうか。「ナムアミダブツ」を繰り返し唱えることによって、私たちの意識は日常を離れ、変性意識状態(トランス状態)へと移行します。短い言葉を繰り返し唱えることで一定のリズム=ゆらぎ(波動)が生じ、深い三昧(さんまい)の境地へと誘導されるようです。同様の効果を持つものとして、仏教では、真言陀羅尼(しんごんだらに)や日蓮宗の唱題(しょうだい)が有名ですが、イスラーム神秘主義にも神の名を反復するズィクルという唱名があり、ギリシャ正教ではヘシュカズムという祈りの語句の連唱法が知られています。

このような体験を重ねても、各自が直面する課題に対する直接的な解決が示されない場合もあるかもしれません。しかし、宗教体験は宗教にとって生命線ともいえるものです。このような体験を少しずつ積み重ねていけば教義への理解や信心も深まり、自分でも驚くような宗教体験をいただくことへとつながることでしょう。逆に、神秘体験をただ早く・多く得ようと焦ると、危険な薬物を使用したり、過激な身体行を重ねたりすることになり、正しい仏道から外れてしまうことにもなりかねません。そのためにも、常に『おさづけ』に立ち返り、正しい道しるべに沿って着実にお行を実践していく姿勢が大切なのです。

『こすもす』395号(平成25年11月5日発行)「神仏の輝き」より


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