平成27年・バックナンバー

平成27年6月
宗教学から見た中山身語正宗[4]


巡礼とは何か 学びの森

深く関連し合っている心と体
一般に巡礼とは「聖地や聖山、霊場などの非日常的空間に身をおき、意識の変容を獲得することである」といわれます。聖なる空間には、聖なる時間が流れています。
では、自然の中を歩き回るハイキングや、寺社仏閣を回るパワースポットめぐりとはどう違うのでしょうか。ただ気分爽快になりたいだけだったらハイキングで十分でしょう。ご利益をいただくだけが目的であれば、パワースポットめぐりでもよいでしょう。しかし、巡礼というと、少し目的が異なるようです。たとえば白装束(しろしょうぞく)など、特殊な衣装をつけて回ることが多く、なるべく私語は慎み、口に真言や念仏を唱えながら回ることも求められます。白装束を着ることには、日常の俗的な自分をいったん葬(ほうむ)り、新しく生まれ変わるという意味があります。そして四国遍路や西国観音霊場などを巡礼する際には、さまざまな寺院、仏様が祀られているところを回ります。ご本尊である仏様が聖地のパワーの源となっているのです。

また日本では、八十八ヵ所の霊場をお堂の中にまとめ、象徴的に八十八ヵ所を巡る「お砂踏み」という儀礼もよく知られています。一方、古四国巡拝のお行は、実際に足を動かし、五感を使って仏様を礼拝していきます。じつは、身体行であることに深い意味があるのです。
仏教では、「身心一如」を説きます。歩き続けること、唱え続けることに徹することで精神が統一され、モヤモヤ思い悩む理性のはたらき(分別・はからい)をいったん静止させることができます。心を直接コントロールするのは大変ですが、身体を動かしたり、声を出したりするのは取っ付きやすいものです。そこで身体行から入って間接的に心を制御しようとするのです。また各札所を参拝すると、仏様はさまざまな表情やお姿で迎えてくださいます。自然と心が和み、落ち着き、軽くなるのを実感できるでしょう。

最近では、ソマティック心理学(身体心理学)という分野が注目され、心と身体が密接に関連し、心理的な変化が身体の生理的な作用と関係していることがわかってきました。私たちの身体は機械のように単なる部品から成るのではなく、相互に密接なつながりを持っているのです。
たとえば皮膚は単なる粘膜ではなく、外界を感知する「第三の脳」としての役割をもつことも知られてきました。また足の裏は全身のツボが結集していて、歩行を通じてツボが刺激されると内臓の機能が高まり、血液循環や新陳代謝も盛んになります。さらに山道を上下することによって足の筋肉も鍛えられ、方向感覚も養われて脳細胞が活性化し、心が安定してきます。反対に、読経や礼拝によって心が落ち着いてくると、血糖値や血圧も安定し、健康効果も期待できます。このように、身体と心は深く関連し合っていて、大きなつながりの中で相乗効果をもたらしてくれるのです。

宗教において身体行が重視されてきたのは、身体を動かすことで理性のはたらきを止め、心を安定させ、冷静に自分を見つめなおす時間をつくるための古来の叡智(えいち)だったように思えてきます。それゆえ宗教の世界では、雑巾をしぼって清掃をしたり、草刈をするような日常の行為さえも身体行になり、修行的な意味合いを持ってくるのです。

『こすもす』390号(平成25年6月5日発行)「神仏の輝き」より


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