平成27年・バックナンバー

平成27年5月
宗教学から見た中山身語正宗[3]


聖と俗(2) 聖なる空間 学びの森

聖なるものは集団や社会を結束させる
神社やお寺へ行くと、なぜか心が落ち着く感じがするものです。近頃では、パワースポットめぐり、などと言ってご利益を求めて神社やお寺を回ることがブームになっているようです。神社やお寺は、なぜ聖なる空間なのでしょうか。そもそも聖なる空間、聖地とは何でしょうか。今回は、このことについて考えてみたいと思います。

たとえば神社の入り口には鳥居があります。手を洗う場所があり、参道が続き、狛犬(こまいぬ)に守られて本殿があります。お寺も似ていて、木立(こだち)の中、涼しげなイメージです。本堂ではお香が焚(た)かれ、ご本尊の仏様が安置され、僧侶がお経を唱えたりしています。一般の人は内陣には入れません。このように、聖なる空間は世俗から隔離され、尊ばれています。私たちが日常をすごす空間とは明らかに違っているようです。
フランスの社会学者エミール・デュルケームは、「宗教とは、神聖、すなわち隔離され禁止された事物に関する信念と行為の体系である。信念と行為とは、これに帰依するものをすべて教会と呼ばれるひとつの道徳的共同体に結合する」という意味のことを述べて、聖なるものは集団や社会全体に関わる概念であり、社会を結束させる機能をもつものであると説きました。確かにお祭りのときには、ものすごい人出になります。そして、この人の多さが、ある種の非日常的な空間を醸(かも)し出しているともいえます。聖地も、何人もの人が訪れて初めて聖地と呼ばれるようになります。聖なる空間は、単に一個人だけの空間ではないようです。

さて、石や木に神が宿るといわれ、石や木が崇拝の対象となる場合があります。しかし、それは石そのもの、木そのものを崇拝しているのではなく、神様が石や木を通して出現されているから(このことをエリアーデは「聖体示現(ヒエロファニー)」と呼んでいます)崇拝の対象となっているとされます。石や木は、聖なる存在の象徴とみなされるのです。聖地には、このように神様を象徴するような何かが祀られているものです。
たとえば、イスラームの聖地であるメッカには、カアバ神殿があります。カアバとは「立方体」を意味し、大きな四角い箱で、一箇所の隅に隕石ともいわれる黒石がついています。そしてムスリム(イスラム教徒)には、一生に一度は聖地メッカへの巡礼をすることが義務付けられていて、巡礼を果たした者は尊敬されます。縫い目のない巡礼着(2枚の白い布)を身に付け、決められた日程で、決められた作法に則って巡礼が行われますが、一度に二〇〇万人もの人が聖地を訪れることから、死者が出ることもあるそうです。

以上のことから、聖地と呼ばれるような聖なる空間には聖なるシンボルが置かれ、聖地は人と人を信仰によって結びつけるはたらきをすることがわかってきました。本宗にも、宗祖上人が開かれた古四国霊場という聖なる空間があります。では、本宗の古四国巡拝にはどのような意味があるのでしょうか。次回は、巡礼の意味について考えてみたいと思います。

『こすもす』389号(平成25年5月5日発行)「神仏の輝き」より


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