平成26年・バックナンバー

平成26年9月
中山身語正宗と仏教の常識[19]


明治時代以降の日本の仏教では、僧侶が妻帯することは「当然」あっていいこと、とみなされてきました。しかし、仏教が始まったインド以来、このように考える仏教者はいなかったので、当然の如く僧侶は現在に至るまで妻帯してきませんでした。では、なぜ日本の仏教は、こうした道を選んだのでしょうか。 学びの森

より内面的、精神的な特性を重んじた日本仏教
明治5(1872)年4月25日、明治政府は「太政官布告(だじょうかんふこく)135号」を発し、「僧侶に肉食(にくじき)、妻帯(さいたい)、蓄髪(ちくはつ)および法用外の平服を許可」するとしました。これ以降、日本の仏教界は、広くこれを受用し、現在のような「日本の仏教」が定着したのだとされています。

では、日本に仏教が伝来して以来この「太政官布告」が出されるまでの日本の仏教における「肉食」「妻帯」「蓄髪」「平服の着用」は、どのような状態だったのでしょうか。当然の如く、それらが公(おおやけ)に認められている、といった認識はありませんでした。僧侶であって、もしそのようなことを公然と行う者があったとしたら、その僧侶は、明らかに「破戒僧、にせ坊主」とみなされたに違いありません。
ところが、前回お話したように、日本の仏教では、仏教伝来のその時からあまり時間を経ていない段階で「僧侶ではないが、仏教のみごとな実践者」とみなされる在家者や私度(しど)僧(自分の意志だけで僧侶のような外見をして仏道修行に励む人)の存在は、かなり広範囲に認められていたようです。特に「非僧非俗」を公言された親鸞聖人を祖師とする浄土真宗の教勢の拡大は、日本の仏教の中に「妻帯」を容認する雰囲気を着実に育てていったようです。

このように、日本の仏教の中に根深くあったこのような捉え方は、実は、日本人が本来持っていた固有の信仰観であった「神道的なもの」と、大きく関わっていたようです。
神道的なものの見方、考え方の中には、ごく常識的な人間の倫理、道徳観や自然観が基盤としてあるように思われます。自然を畏(おそ)れ敬い、人倫の和を尊び、生命の久遠にわたる継承を旨(むね)とする。こうしたものの見方、考え方は、インドに生まれた仏教がもっていた「一つの生命が輪廻転生」し続けるといった生命観とは、ずいぶん異質なものと思えるのです。だからこそ、文字通り「出家(家や家族との絆を断って)」して修行をすべきだとする「インドの仏教」とは異なり、家や家族との絆を断ち難いものとして、その中で「出家」の意味を問い続けなくてはならなかった日本の仏教者は、おのずから独特な日本の仏教を創っていくしかなかったのかもしれません。
そんな日本の仏教が最終的に最も大切なよりどころとしたのが大乗仏教の中に説かれる菩薩像であったのではないか。わたしは、常々そう考えてきました。

大乗仏教の菩薩は、出家者にも在家者にも認められ、修行者としての外形的な特性よりも、より内面的、精神的な特性に注意が喚起されていたように思えるのです。すなわち、精神性において高く、深く、広いことが最も尊ばれ、そこから生まれてくる勝れた仏教者としての姿に、真の敬愛を抱いてきたのではなかったでしょうか。そうした仏教者は、一人の宗教者として高潔であるだけではなく、広く深く周りの人々に対して謙虚で素直で優しくあることのできる人でもあったのです。
このことは、日本の仏教において単に周りの人々に対して優しいだけの修行者を心底から敬ったのではなかったということを示唆しています。精神性の高さとしての自利行と周りの人々への優しさとしての利他行の共存こそが大切だったのです。

「こすもす」393号(平成25年9月5日発行)より


学びの森・バックナンバーはこちら

サイトマップ ページトップへ

Copyright 中山身語正宗 All Rights Reserved.