平成26年・バックナンバー

平成26年7月
中山身語正宗と仏教の常識[17]


仏教における「三宝」について、既に4回にわたって学んできました。では、中山身語正宗における「三宝」は、一体どのように捉えておけばいいのでしょうか。そして、そうした捉え方の土台におかれるものとは「一体」何だったのでしょうか。今回は、そうしたことを改めて学んでみようと思います。

学びの森

本宗の「三宝」、その土台にあるのは「親と子」という身語正信心の姿
中山身語正宗という信仰(宗教)は、今からおよそ百年前に「〈おじひ〉の親」とわたしたちがお呼びさせていただいているみ仏によって直々に持ち出された仏教の信心(法門)であることは、この欄でも度々申し上げてきたところです。
では、この中山身語正宗においては、「三宝」というものをどう捉えているのでしょうか。

「仏宝」については、本宗を持ち出された〈おじひ〉の親たるみ仏、すなわち「身語正教主(身語正という仏教の信心・法門の教え主)」が「根本大悲の親」と名告(なの)られ、この世に人間の眼に見える姿となって現われ出る時は「中山不動と世に出(い)ずるぞ」といわれたことから、「中山不動尊」というお姿のみ仏として捉えています。中山不動尊は、赤身(せきしん)のお身体をされ、立たれた形で、背後に「舟形」の火焔(かえん)を背負われた姿をされています。そして、眼は「並眼(へいがん)」といっていわゆる「天地眼(片方の眼で上を視(み)、もう一方の眼で下を視る形)」にはなっていません。

「法宝」は、本宗の信心が仏教の大道を行く信心であると確信されている通り、その「教え(法)」は、仏教の基本的な法を、そっくりそのまま踏襲(とうしゅう)しています。ただ、具体的な信心(宗教的実践)の仕方は、「頼む一念身語正」と呼ばれるものであり、具体的には『おさづけ』としてまとめられた通りの信心の道しるべとして示される実践の形があります。そして、この形を「体系的、論理的に説明」するための「身語正教学」が独自に定められているため、仏教の基本的な教学である「法」を新たに展開することになった、独自性も持っています。

「僧宝」については、本宗の信心の実践者は、等しく「身語正行者」とみ仏より呼んでいただくわたしたち自身であり、本宗を支える全宗人がそれに当たります。本宗の中には、「僧侶」と「俗人」という二つの形がありますが、身語正行者は、この二つを全て含んでいます。ですから本宗の「僧宝」たる身語正行者は、僧俗が互いに敬い合い、拝み合うことを最も大切にします。そこで本宗では、信心の「リーダー役」を与えられた人を「親仏(おやぶつ)」と呼び、親仏の指導の下に、至心に行願に取り組む人を「子仏(こぶつ)」と呼んでいます。そして、この「親仏・子仏の関係」が和を保つ関係を持ち届けていける時の姿を「和合僧」としての「僧宝」の在るべき姿としているのです。

本宗における「仏宝」たる身語正教主が自らのことを「根本大悲の親」と名告られた通り、また「僧宝」を構成する全宗人が「親仏・子仏」と呼ばれる通り、本宗においては、信心の実践は、「親と子」が支え合い育て合い、守り合っていかねばならない姿を「信心の要にある姿」としてきました。
親と子の関係は、生命を運ぶ要となる「血」を確実に継承し、継続していくことを最も大切な使命としているように、本宗における「親仏・子仏の関係」は、ご法の生命を運ぶ要である本宗独自の「法(すなわち法脈・法灯)」を、みごとに継承し継続することを最も大切なこととする宗人によって持ち届けられねばなりません。
中山身語正宗における「三宝」を以上のように捉え、正しく理解し、継承、継続する大切さを今一度学んでおきたいものです。

「こすもす」391号(平成25年7月5日発行)より


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