平成26年・バックナンバー

平成26年6月
中山身語正宗と仏教の常識[16]


三宝の中に説かれる「僧宝」について、まず「僧宝」の原義を明らかにしておきます。その上で、仏教の中に「大乗仏教」という教えが新しく興ってくることによって、「僧宝」に多様な変容が始まることを理解し、本来の「僧宝」とは何かを探っていくことにしましょう。

学びの森

大乗仏教において「僧宝」とは、僧俗問わず全ての仏道修行者を指す
「僧宝」の「僧」とは、本来は一人ひとりの仏道修行者である僧侶(出家した比丘など)を指すのではなく「僧伽(サンガ)」のことで、「仏に代わって民衆に仏教の理論や実践を伝え、民衆を指導する出家者の団体」(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』春秋社)のことです。
仏教教団には、教団内の指導者グループである出家者(比丘(びく)・比丘尼(びくに))と、その指導に従う在家信者(優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい))で構成されています。これを「四衆(ししゅう)」といいます。そして出家修行者である比丘・比丘尼は、修行者として目指すべき最高目標である「さとり」を求めて、一途に仏道修行に励むことが求められます。そのため、生きるためになされる衣食住の獲得のために働くという一般的な活動は、常に最低限に抑えることが求められたのです。そこで、出家修行者たちは、托鉢(たくはつ)(乞食(こつじき))して食を得、他人が捨てた布を拾い集めて衣服とし、郊外の樹木の下や洞穴を住まいとする生活を送ったのです。

これに対して、在家信者には、仏道修行の最高目標たる「さとり」は高嶺の花とされたため、ただ求められるのは「来世の幸せ」の中で最上のものとされる「天(神々)」の世界に生まれて享楽(きょうらく)を 恣(ほしいまま )に味わうか、再び「人間」に生まれて、高貴で豊かな階級の子となるか、今度こそ、出家修行者となって「さとり」を目指すかが求められたのです。そのためには今生(こんじょう)で善根功徳を積んでおくことが必要となるため、三宝に対して至心の布施行に励むことが勧められたのです。
しかし、西暦紀元前後に新しく興(おこ)った「大乗仏教」という教えでは、在家信者にも仏道修行者として「さとり」を目指す資格があるとされるようになり、僧・俗共に至心の行願を積むことで、仏に成れるとされるようになりました。そこで「僧宝」は、より広く「すべての仏道修行者」を入れていいと確信されることになったのです。

本宗の信心(宗教的実践)の道しるべを明らかにした『おさづけ』の中に「身語正行者、真の菩薩なり」と示されるのは、こうした大乗仏教の考え方をしっかり踏まえているが故なのです。
では、大乗仏教においては、仏道修行者とは、一体どのようなことをする人々だと考えられてきたのでしょうか。
実は、大乗仏教が始まると、新しいアイデアが次々に打ち出されることになるため、仏道修行者のあるべき姿も、次々に変容していくことになります。そのため、一貫して変わらぬ姿を示すことが難しいのが事実です。ただ、その中にあっても仏道修行者には「出家者(すなわち僧侶)」と「在家信者」の二つの形があることは継承されました。しかし、その内容は、出家修行者(比丘・比丘尼)のみを「さとり」に向かえる資格者とする仏教(南方・上座部仏教。すなわち東南アジアの国々に現在も行われている仏教)とは、大きな異なりを持つことになります。
そして更には、大乗仏教の中に新たに「在家信者」のみで構成される教団(在家教団、例えば立正佼成会など)も生まれることになるため、大乗仏教の展開の中では、そうした変容の全体像を正しく理解する努力を怠(おこた)ることはできません。

「こすもす」390号(平成25年6月5日発行)より


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