平成26年・バックナンバー

平成26年4月
中山身語正宗と仏教の常識[14]


仏教者が「どのようにして仏の存在を身近に実感しようとしてきたか」については、前回お話した通りです。では、中山身語正宗では、その仏を「どのように実感している」のでしょうか。実は、わたしたちは「〈おじひ〉を授かる」という体験を通して、ありありと仏の実在を確信してきました。

学びの森

〈おじひ〉を正しく受け止め、実践実行を通して仏と相見(あいまみ)える信心
中山身語正宗という信仰は、宗祖覚恵上人が物心つく頃から授かり始めた〈おじひ〉を通して持ち出されました。そのため、宗祖上人にとって〈おじひ〉を授けて下さる〈おじひ〉の親としてのみ仏の実在は、疑いようのないものだったのです。また、宗祖上人の膝下に集まり自ら〈おじひ〉を授かる体験をすることのできた人々にとっても、〈おじひ〉の親たるみ仏の実在は、疑いようのないものとなっていきました。
しかし、その〈おじひ〉の親たるみ仏は、わたしたち人間がリンゴの木になる「リンゴ」を見るように目にし、手に触れ、味わえるような在り方で実在する訳ではないため、〈おじひ〉を授かった者にとっては「疑いようのない存在」と確信できても万人にそう確信してもらえるものではありません。そのため、わたしたちが実在を確信するみ仏は、万人の確信できる実在とはならないのが現実です。そこで、本宗の信心をするわたしたちにとって、〈おじひ〉の親たるみ仏に対する実感は、万人から孤立したものとなるしかなかったのです。

では、本宗人にとってのみ仏との出会い、相見(あいまみ)え方から浮かび上がってくるみ仏とは、一体どのようなものと捉(とら)えていけばいいのでしょうか。
〈おじひ〉の親たるみ仏は、わたしたちに「嘘・偽りではなく本当に(正しく)」〈おじひ〉を授けて下さいます。わたしたちは授けていただいた〈おじひ〉を正しく受け止め、〈おじひ〉のままに実践・実行して生ききることによって、その〈おじひ〉の正しかったことをありありと周りの人々に認めてもらうことができれば、わたしにとって疑いようのない実在であったこのみ仏を必ず確信してもらえるはずです。
宗祖上人は、身をもってそれを実践・実行し、生ききることで見せて下さいました。また身語正第二世となられた覚照猊下を始め、多くの先輩である「親仏たち」もそのような生き様を通して、わたしたちにそれを見せて下さっています。

そんな親仏のお一人は、
「み仏に山ほど願ってきたけれど、そのほとんどは、自分の願うようにはならなかったけれど、〈おじひ〉を通して教えていただく通りにしてきたことは、必ずみ仏のみこころの通りに成ってきた」
という趣旨のことばを残しておられます。すなわち、〈おじひ〉を通して伝えられるみ仏のこのわたしに対する願い(思い)を正しく受け止め、〈おじひ〉のままに実践・実行して生ききるならば、その生き様は必ずみ仏のみこころに叶った生き方となり「この身に確実にみ仏のような姿を少しずつ現わし出させていただける」という本宗独自の「即身成仏(そくしんじょうぶつ)(身に即して仏を成ずる)」が実現していくのです。

このようにして現わし出させていただくみ仏の願い(思い)の具現化を通してこそ、中山身語正宗という信仰における仏との相見え方が現実のものとなっていくのです。
ですから、本宗においては、単に〈おじひ〉を授かることだけが問われてはなりません。〈おじひ〉を授った後に来る「正しい受け止め方」や味わい方、かみしめ方の正しさこそ、最も大切にされねばならないものだったのです。この点を決して忘れてはなりません。

「こすもす」388号(平成25年4月5日発行)より


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