平成26年・バックナンバー

平成26年1月
中山身語正宗と仏教の常識[11]


「三学」の2つ目に置かれる「定学(じょうがく)」とは、仏道を修行する者が「心の散乱を防ぎ安静にさせるために行う実践法」のことです。中山身語正宗の信心においては、まず「信ヲ仏ニオキ」「仏一つを目当てにして」心の動揺が起こらないようにするため、ただひたすら仏にすがりきるお行に当たります。

学びの森

本宗の「定学」は、み仏にすがり「頼む一念」になりきること
「おすがり」行は、中山身語正宗のすべてのお行の中核に置かれるものです。
本宗において、「おすがり」という実践法は、「なむあみだぶつ」という名号をひたすらお唱えして行います。しかし、この場合の「なむあみだぶつ」は、漢字で表記される場合の「南無」プラス「阿弥陀仏」、すなわち「阿弥陀仏に至心に帰依(きえ)いたします」という意味ではありません。本宗の「おすがり」行における「なむあみだぶつ」の意味は、「なむ」とすがる、その「すがる」こと自体に最大の意味があるのです。
宗祖覚恵上人は、物心つく頃から「なむ」とすがりきる「なむあみだぶつ」という名号をみ仏より授かられていました。そして、その「なむあみだぶつ」は、すがるべき対象を選ぶものではなかったのです。

み仏は、ある時は地蔵菩薩の石像の前で「なむあみだぶつ」とすがれと指示され、またある時は、氏神様の前で「なむあみだぶつ」とすがれと指示されるなど、すがる神仏に何の区別もされなかったのです。
そして後日、宗祖上人は、〈おじひ〉を通して、
「あなたが早く〈おじひ〉をいただきたかったならば、三歳児(みつご)になりなさい、赤子になりなさい。伊達を捨てなさい、飾りを捨てなさい。あなたが、“南無阿弥陀仏”が好きならば“南無阿弥陀仏”で一生懸命縋(すが)りなさい。“南無妙法蓮華経”が好きならば、“南無妙法蓮華経”で一生懸命縋りなさい。“南無大師遍照金剛”が好きならば“南無大師遍照金剛”で結構です。授け下さる親の〈おじひ〉のおみのりは、今も昔もかわりなく、なに宗、かに宗の隔てもなければ差別もなし。要は、願うあなたの胸次第ですよ」 と教えられています。

このように本宗における「おすがり」の中核に置かれる教えは、ただただ「なむ」とすがりきる自分自身の「胸」をつくること、いただくことに主眼が置かれています。そして「要は、願うあなたの胸次第ですよ」といわれる「胸」ができた時、み仏が「授けてやりたい」と願っていただく思いを間違いなく、正しく受け止めさせていただけるのです。そして、この時の体験を本宗では、〈おじひ〉の体験と呼んでいます。
こうした〈おじひ〉の体験をいただけるくらいに、ただただ「すがって、すがって、すがりきる」時、本宗では、そんな身語正行者の行願を「頼む一念」と呼んでいるのです。そして、この「頼む一念」になりきれた時こそ、本宗独自の「定学」が具現されている時と確信させていただくのです。

本宗における〈おじひ〉の体験をさせていただいている時の自分自身の「胸」中は、み仏の働きである「他力」と、わたし自身の「おすがり」行に徹しきった「自力」とが、実にみごとに「合一(ごういつ)」して起こる静寂に包まれています。それは、例えば広大無辺な光明の中に包みこまれているようでもあり、永遠の時間の中に生きているようでもあります。そして、それはまた、
「動中の静」
ともたとえられることがあります。
「おすがり」行に徹するわたしの口からは滞ることのない「なむあみだぶつ」が溢(あふ)れ続け、流れ続けているため、こうしたたとえが使われてきたに違いありません。

「こすもす」385号(平成25年1月5日発行)より


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