平成25年・バックナンバー

平成25年12月
中山身語正宗と仏教の常識[10]


中山身語正宗における「三学」の内の「戒学」には、十善戒と七仏通誡偈(ひちぶつつうかいげ)の2つが挙げられています。十善戒については既にお話しましたので、今回は「七仏通誡偈」が本宗においてはどのように説かれ、具体的にどのように実践していけばいいのかを明らかにしておきたいと思います。

学びの森

七仏通誡偈や十善戒の実践を、更に具体的に示したものが『おさづけ』
七仏通誡偈とは、一体どういうものかについては、既に本紙378号(平成24年6月号)に紹介しておきましたのでご参照下さい。
仏教では、み仏がわたしたちの住むこの世界に出現される時は、必ずわたしたちに
「悪いことをせず(諸悪莫作(しょあくまくさ))、善(よ)いことを実修せよ(衆善奉行(しゅぜんぶぎょう))」と勧められ、その上で「自分自身の心(ものの見方、考え方)を正しく浄(きよ)らかにしていきなさい(自浄其意(じじょうごい))」といわれるものだ。 と確信してきました。
ところが、七仏通誡偈には、「悪・善」という文字はあっても、それが具体的にどのようなものを指すのかまでは明示されていません。また「自らその意(こころ)を浄らかにせよ」とは示されていても、それが具体的にどうしていけばいいのかまでは説かれていないのです。

実は中山身語正宗における「三学」の中に挙げられる七仏通誡偈においては、「ご先祖代々菩提、親には孝行、夫婦よく和合し、兄姉弟妹仲睦まじく」と、その善悪は具体的に示され、あるいは「不平不満の念を起こさざること」として、「自浄其意」を具体的に示してくれています。
身語正第二世覚照猊下が「中山身語正宗人の信心のあるべき姿とは、一体どういうものか」を明らかにせんとして、昭和23年に成文化された『おさづけ』には、覚照猊下ご自身が宗祖上人より直々に伝えられた本宗の信心のあるべき姿がしっかりと土台として据(す)えられていたのです。
例えば、ここに述べようとしている本宗の「三学」の一つとして挙げられる七仏通誡偈に対する噛み砕き方は、正しくその好例です。

覚照猊下は、昭和8年3月、当時の高野山大学を卒業し、基山に戻られた日、ただちに宗祖上人のもとに呼ばれて、「人としてこの世に生まれて、何をすることが一番善いことか。悪いことか」と問われています。そして、その時宗祖上人の教えて下さったことは、「仏様は、わたしにこう教えて下さった。人としてこの世に生まれて何をすることが一番善いことか。一番悪いことか。それは親を、ご先祖様を、世の人々を喜ばせることが一番善いこと。反対に、これらの人々を泣かせることが一番悪いことだ」と。宗祖上人の質問に窮(きゅう)しておられた覚照猊下は、今聞かされた答えのあまりにも「当然すぎる」ことに、改めて〈おじひ〉を通して教えていただくということの深さを実感された、といいます。

このエピソードが、本宗における七仏通誡偈の「悪」「善」への明確な解答と覚照猊下は理解されたからこそ、『おさづけ』の第3条にこのような表現を採用されたのでした。
「自浄其意」についても、同じような経緯があって、具体的にはみ仏に向かってさせていただくすべての行いに「不平不満をもつことなく」素直に向かいきれる時の心持ちの中にこそ「浄らかさがある」と確信されたに違いありません。
このようにして、十善戒についても、七仏通誡偈についても、本宗においては「更なる噛み砕き」が行われ、わたしたち一人ひとりがより具体的に実践できるように工夫されているのです。
以上で中山身語正宗における「三学」の内の「戒学」についてのお話は終わらせていただくことにします。

「こすもす」384号(平成24年12月5日発行)より


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