平成25年・バックナンバー

平成25年10月
中山身語正宗と仏教の常識[8]


今回は「口業(くごう)(ことばを用いてする行い)」についてお話しましょう。「ことば」は、使いようによっては、他人の心を深く傷つける凶器にもなるため、古今東西を問わず人は、その使い方に注意を注いできました。仏教も例外ではありません。

学びの森

「十善戒」の中に説かれる「口業」の4つの戒めについて
十善戒の中に説かれる「口業」は4つです。「不妄語(ふもうご)戒(嘘をつかない)」「不綺語(ふきご)戒(無駄口をたたかない)」「不悪口(ふあっく)戒(悪口をいわない)」「不両舌(ふりょうぜつ)戒(二枚舌を使わない)」がそれです。
人が「ことば」を使ってする行いの中で、この4つが戒(いまし)められている意味を味わい直してみて感じることは、み仏が仏教の信心をする人に対して、「誠実であれ」「謙虚であれ」「素直であれ」と願われているのではないか、ということです。
嘘をつくのは、誠実ではないからでしょう。無駄口をたたくのは、素直ではないからでしょう。悪口をいうのは、謙虚さが欠けてしまっているからかもしれません。二枚舌を使うのは、こうした3つの思いがないからかもしれません。

「ことば」を使うという行いは人間を人間たらしめている特徴の一つです。そして、仏教では「人」にことばを使う上で「誠実で」「謙虚で」「素直であれ」と期待されているのだとしたら、それは単にことばづかいの上だけではなく、あらゆる行いの基に、その3つを持ち届けよと期待されていたからかもしれません。そう思うようになった時、改めて信心をする上で「誠実さ」「謙虚さ」「素直さ」の持つ意味を深く味わい直しておかなくてはならないと思わせていただきました。
中山身語正宗の信心では、「信ヲ仏ニオク」「仏一つを目当てにする」ことが最も大切なこととされてきました。ですから、ここにいう「誠実さ」も「謙虚さ」も「素直さ」も、み仏に真っ直ぐに向き合わさせていただいた上でのものでなくてはならないはずです。
わたしたちは、み仏に真っ直ぐ向かい合い、み仏に向かってことばを発しようとしたら、必ず「誠実」で「謙虚」で「素直」になるはずです。み仏は、そんなわたしたちを確かにごらんになって、「わたし(仏)に向かうそのように他人に対しても誠実で、謙虚で、素直であれ」と願って下さったに違いありません。

わたしたちがみ仏の願って下さった通り、み仏のみこころに叶(かな)った自分になりきれたとしたら、わたしの「口業」は、嘘をつかず、無駄口をたたかず、悪口をいわず、二枚舌を使わない「ことば」づかいになれているはずです。
嘘をつくまいと努力して嘘をつかなくなるのではありません。「嘘をつけない」からこそ嘘をつかなくなるのです。信仰をするということは、きっとこういうことでなくてはならないと思います。正しく信仰のできる人は、自(おの)ずと「誠実」で「謙虚」で「素直」になっている、ということです。

そんな信仰者としての本当の姿がありありと現われ出るところが、わたしたちの「ことば」づかいかもしれません。すなわち、正しく信心を身につけていくということが、自らの「ことば」づかいを正していくということなのです。
誠実で謙虚で素直なことばづかいができて、み仏に「信ヲオキ」、み仏一つを目当てにして、み仏に向かって歩いて行けるわたしたちになれたとしたら、そんなわたしたちを、み仏は最も喜んで下さり、「お前一人を泣かしはせん。お前一人を落としはせん」と、力強く大きな加被力(かひりき)を巡して下さり、ご加護を授けて下さるに違いありません。

「こすもす」382号(平成24年10月5日発行)より


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