平成25年・バックナンバー

平成25年9月
中山身語正宗と仏教の常識[7]


前回は、十善戒の内の第1番目に挙げられている「不殺生戒」についてお話しました。今回は、次の「不偸盗戒」と「不邪婬戒」について触れ、わたしたちが「自分の身体」を使って行う3つの「身業(しんごう)」でする戒めを考えます。そして改めて「戒を守る」大切さについても学んでおきたいと思います。

学びの森

「十善戒」の一つ「不偸盗戒」と「不邪婬戒」について
「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)」とは、「盗むな」ということです。
こんなお話を聞いたことがあります。地獄とお浄土と人間世界の違いとは何か、というと、それは次の様に喩(たと)えていうと分かり易かろう。例えば地獄で自分の荷物を他人にあずけて、「わたしが戻ってくるまで、しっかりと見張っていて下さい。戻ってきたら、必ずお礼をしますから」と頼んだとしましょう。それでも心配なので、急いで用事を済まして戻ってみたら、必ずその荷物は無くなっているはずです。ところがお浄土では、道端にポンと置いておいて、ゆっくり用事を済ませて戻ってきてもきっと荷物は元のまま、そこに有るでしょう。ただ、人間の世界では、良い人に見張りを頼めば、必ず見守ってもらえるけれど、悪い人に出会って、それを知らずに見張りを頼んだら必ず荷物は無くなってしまうものだと。すなわち、ここでいう「不偸盗戒」が守られる状況とは、お浄土のような状況を「つくる」努力を怠(おこた)ってはいけない、と自らを戒(いまし)めることをいいます。

「不邪婬戒(ふじゃいんかい)」とは、いわゆる「不倫(人倫(じんりん)にはずれること。人道(じんどう)にそむくこと。ここでは、性的な倫理にそむくことをいいます)」をしないということです。
仏教の開祖・釈尊のみ教えでは、本来、仏道成就を目指して出家し、家族との絆を一切断ち切った修行者である比丘(びく)(比丘尼(びくに))は、一切の性的な行いを行ってはならず、それに準ずる行い(例えば男女が手を組むなど)も一切してはならない、とされています。ところが、この十善戒では、人倫にそむく行いとしての不倫とみなされる性的な行いを戒めているだけなので、本来「十善戒」の対象は、在家信者であったことが分かります。なぜなら、出家した比丘・比丘尼と呼ばれる修行者に対しては、「十戒」が定められていました。そして、この十戒では、十善戒の「不邪婬戒」は「不婬戒(一切の性的な行いをしてはならない)」になっていました。こんなことも知っておいていただければと思います。

「不殺生戒」「不偸盗戒」「不邪婬戒」の3つは、わたしたち人間が身体を使って行う行ないであることから、「身業(身体でする行い)」と呼ばれます。そして、この3つの行いは、時代と国や民族を超えて、すべての人に共通する戒めであると理解されています。だからこそ、これらの戒めが破られた時、そこに犯罪が生まれるのです。
「殺さず」「盗まず」「不倫をしない」という戒めを大切に守る努力を怠らない集団にあっては、人間世界できっともっとも大切な平和への礎のおおもとが出来上ってくるに違いありません。しかし、その礎は、実はたった一人の裏切り者が出てくるだけで、簡単に破壊されてしまうようなものでもあります。そのため、人間の世界には、この礎が継続して保持されることが、なかなか難しいものとなってしまっているのです。
「自分一人くらいが破ったからといって、どうっていうことはあるまい」という考え方こそが、最も恐ろしいことなのです。
ですから、わたしたちがこの3つの戒めを本当に守り貫くことは、決して簡単なことではないことを改めて肝に銘じることで、それを守ることの本当の貴(とうと)さも確信できるに違いありません。

「こすもす」381号(平成24年9月5日発行)より


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