平成25年・バックナンバー

平成25年3月
中山身語正宗と仏教の常識[1]


中山身語正宗は、100年前に「立教」した仏教の宗団です。ですから本宗の信心(宗教的実践としての行願)の根底には、仏教の正しい理論や考え方につながるものがしっかりと踏まえられています。この新しいシリーズ(連載)では、それが「どんなものであったか」をご紹介していくことにいたします。

学びの森

信ヲオクみ仏とは、仏教本来の正しい理解に基づく仏様
仏教では、信仰する者には、必ず学ばねばならない「三つの学び(これを三学(さんがく)といいます)」がある、とされています。すなわち、信仰する者がみ仏から授かり、必ず守ることを約束させていただくルールとしての「戒(かい)」と、み仏と一体化するための宗教的実践である「定(じょう)」と、み仏がさとられた、仏教的ものの見方、考え方である「慧(え)」の三つがそれです。そして、この三つはそれぞれ「戒学(かいがく)」「定学(じょうがく)」「慧学(えがく)」と呼ばれ、まとめて「三学」といっています。

仏教の開祖「釈尊」によって開かれた仏教は、古代インド世界で広く信奉され、その後東南アジアの国々に伝えられて今日「南方仏教」と呼ばれて生き生きと生き続けています。これに対して、インドから中央アジアを通って「中国」「朝鮮半島」そして「日本」へと、北方ルートを通って伝えられてきたもう一つの仏教がありました。この北方ルートを通って伝えられた仏教は、「南方仏教」とは少し異質なものだったのです。
「南方仏教」は、釈尊の語られたおことばをそのまま収録したと信じられた「お経」と、そのお経を仏弟子たちが熱心に研究した「解説書」を聖典として護持(ごじ)し、それに基づく信心を実践してきました。
ところが、北方ルートで伝えられた仏教は、南方仏教の人々が伝えることのなかった「大乗(だいじょう)経典」と呼ばれるお経と、その研究書である論書を拠り所とする仏教だったのです。
更にこの北方ルートの仏教は、中国という巨大な文字の国でさまざまに研究されることで、南方仏教とは異なる「中国仏教」ともいうべき仏教となっていったのです。

わたしたち日本人の仏教は、この中国仏教を朝鮮半島を通して、あるいは直接中国へ渡って移入してきたものがベースとなって生まれてきました。そして、あらゆる輸入文化が日本において独自の発展を遂げたように、「日本仏教」というわたしたちの仏教が生まれてくることになったのです。そのため、わたしたちが実際に「わたしの仏教」として信心させていただいている中山身語正宗のことを「仏教の信心」としていかに理解していくべきかを明らかにしようとする時、なかなか複雑な問題がそこにあることを知っておかなくてはなりません。
こうした大前提を明らかにしておくことによって、わたしたちは本シリーズのテーマである「中山身語正宗と仏教の常識」について考えていくことができるようになるはずです。
その時、本宗が最も大事にしている立脚点があります。それは
「夫(そ)レ信ヲ学ニオクナカレ
信ヲ人ニオクナカレ
当(まさ)ニ信ヲ仏ニオクベシ」
という宗祖覚恵上人のみ教えです。

中山身語正宗の信心は、〈おじひ〉を授かることによって、わたしたち自身がみ仏と直々に出会わせていただける信心です。こうして出会った「み仏」を、わたしたちがいかに正しく「仏教本来の仏」として受け止めさせていただくかが常に問われてきます。
わたしたちが「信ヲオク」み仏を誤った考え方のもとに受け止めてはなりません。わたしたちが「信ヲオク」べきみ仏が、仏教本来の正しい理解に基づく仏として受け止められるか。そんなことをいつも心の中に留(とど)めつつ、これからお話をすすめることにいたします。

「こすもす」373号(平成24年1月5日発行)より


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