平成25年・バックナンバー

平成25年2月
初めての方のための「身語正」入門[24]


「初めての方のための『身語正』入門」と題して連載してきました本シリーズも今回で24回目となりました。そこで今回は、本シリーズの一応のまとめをさせていただき、次回からは、新しいテーマを立ててお話を始めていきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。

学びの森

仏教の大道に則した信心の姿である中山身語正宗という信仰
本シリーズでは、度々〈おじひ〉について考えてきました。
中山身語正宗の信心(宗教的実践)の要(かなめ)にあるものは、〈おじひ〉です。身語正第二世覚照猊下は、「〈おじひ〉は、すべての正しい信心の出発点においては、どの信仰(宗教)にもあった」と確信されていました。ですから、〈おじひ〉は、本宗の専売特許ではありません。にもかかわらず本宗では、〈おじひ〉を本宗独特のものとして受けとってきました。それは、本宗の信心にとって〈おじひ〉の体験が本宗の「いのち」を明確に確信させてくれるものであると考えてきたためです。

本当に正しい信仰は、〈おじひ〉に基づいて始まったものであってもその〈おじひ〉を現在まで、どのように持ち届けてきたのかということになると、それが生き生きとその信仰の信心の中に生きていないことが多過ぎるのではないか。だからこそ中山身語正宗という信心においては〈おじひ〉と〈おじひ〉の体験とは常に「今日、ただ今」のものとして続けられるようにしよう。こんな決意が本宗の信心を支える基(もとい)となっていることを自負(じふ)してきたのです。
こうした本宗人の自負は、「仏一つを目当てにする(当(まさ)ニ信ヲ仏ニオクベシ)」という本宗の宗教観に拠(よ)っています。
そして、こうした〈おじひ〉や〈おじひ〉の体験の拠り所としての〈おじひ〉の親(身語正教主・根本大悲の親)の実在を強く、深く確信させていただくことで、実際の信心の日々を「かけがえのないもの」として実践させていただいているのです。
信仰における信心(宗教的実践)は、その信仰に主体的、自覚的にかかわる者にとっては、常に「わがこと」であって、自らがなさねばならないことです。こういう形での宗教的実践としての「お行」が、全宗人に周知され、実践されているところに、実は本宗の「誇り」があります。

宗教と哲学との共通点は、物事を論理的に究(きわ)めつくそうとする態度の中に見られるといわれます。そして宗教と哲学との違いは、その究極へ至ろうとする探求の姿勢に、どのような日常の行住坐臥(ぎょうじゅうざが)の上に「実践」として現われ出るものが具体化されるか否かの中に見られるとされます。
信仰(宗教)の要をなすのは、実践としての行為、すなわち「宗教的実践」たる行願です。そして、その行願の姿そのものが「信心」といわれているのです。
中山身語正宗に結縁(けちえん)して、本宗に入信し、本宗の信心を実際にやってみようと思って下さる方には、常に「お行」への取り組みが求められるのは、そのためです。

そして、本宗のお行(信心)は、「仏に向かっていく」すなわち、自らが「仏(覚者(かくしゃ)、すなわち正しいものの見方、考え方ができ、それに従って日々生きる努力を怠(おこた)らない生き方のできる人)」を目指すことを忘れないということです。
こうした生き方は、仏教の最も基本的な生き方に他なりません。中山身語正宗は、仏教の大道(仏教が真に求める最も正しい生き方)に則(そく)した信心であるとわたしたちが自負させていただくのもそのためです。
本宗への「入門」を志す人には、この目標を大切にして欲しいのです。

「こすもす」361号(平成23年1月5日発行)


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