平成25年・バックナンバー

平成25年1月
初めての方のための「身語正」入門[23]


中山身語正宗の信仰は、「〈おじひ〉の宗教」「お行の宗教」と呼ばれています。そして、本宗の教主は、「〈おじひ〉の親」であって、わたしたちに確かな〈おじひ〉を授けて下さり、〈おじひ〉のままに生きてくれと願って下さるといいます。そんなみ仏のことを今回は考えてみましょう。

学びの森

本宗の「教え主」は、なぜ不動尊というお姿なのか
「〈おじひ〉の親」と呼ばれる中山身語正宗の「教え主(ぬし)(教主(きょうしゅ))」は自(みずか)らこの世に姿を現わす時は、「中山不動と世に出(い)ずるぞ」と宣言されました。そのため、本宗では、中山の地に不動尊というお姿をとって世に出られたこのみ仏を、「中山不動尊」とお呼びし、ご本尊としてお祀りしています。
不動尊というみ仏は、平安時代のはじめ、弘法大師によって日本に伝えられた「密教」が、広く日本の隅々に浸透していく過程で、普(あまね)く周知されるようになりました。密教に説かれる不動尊は、まず第一に「如来使者(み仏の意を体(たい)し、み仏の願いをわたしたち人間に実践せしめようと願われるお方)」であり、また、み仏のみこころのままに実践、実行しようとする全ての仏道修行者(こういう人のことを〈行者〉といいます)に対して「奴僕(ぬぼく)(召し使いのような役割を果たす人)」となって仕えようという誓願(せいがん)を示されるみ仏だといいます。

中山身語正宗の教主が、自らこの世に姿を現わす時は、不動尊として世に出ずると宣言されたことは、本宗の教主が自らの願いを「人々に実践実行してもらいたい」と心底より願っておられたということだと確信させていただきます。では、本宗の教主(このみ仏は、本宗のご本尊中山不動尊のことでもあります)は、一体どのようなことを「わたしたち」に実践、実行してもらいたいと願って下さっていたのでしょうか。
それは、本宗の目指すべき最高目標だとされる「宗祖のご本願」成就であり、「親を、ご先祖様を、世の人々をよろこばせることのできる」ことをすることです。み仏は、こうした目標に向かって確かな実践を身心を傾注(けいちゅう)して行ってくれる実践者(これが身語正行者とみ仏が呼んで下さる中山身語正宗の一切同行のこと)になって欲しいと願われるのです。そのため、中山身語正宗の信心をさせていただくわたしたちは、まず第一に「信心の実践として行うべき〈お行〉は、必ずわたしが取り組ませていただく」という決意を確固(かっこ)としたものにしておかねばなりません。すなわち、中山身語正宗という宗団は、こうした決意を確固としたものとして、日々「み仏の願いを体して行じていく」身語正行者の集まりとなっていなくてはならないのです。その時、初めて中山身語正宗は「身語正行者の宗団」となります。

本宗がそうした宗団になって欲しいからこそ、本宗の教主は、この世に姿を現わす時は、「中山不動尊」となると宣言され、わたしたちにみ仏の真なる願いを実践して欲しいといわれるのです。そして、わたしたちが「身語正行者」となって、み仏のみこころのままに行じ続けるならば、そんなわたしたちを「必ず助けて、正しい生き方が実現できるように導いてやろう」とお約束下さり、また「決して落しはせんぞ」といって、次から次へのお手廻しを巡(めぐ)らして下さるのです。
中山身語正宗に、み仏のみこころを直々に伝えていただく〈おじひ〉があり、〈おじひ〉のままに行ずる人には、広大無辺(こうだいむへん)な大迦被力(だいかひりき)が巡らしていただけるのは、本宗にこうした「み仏」がおられ、日夜を問わずご苦労して下さるからです。

「こすもす」360号(平成22年12月5日発行)より


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