平成24年・バックナンバー

平成24年11月
初めての方のための「身語正」入門[21]


〈おじひ〉は、本宗の信心にとって「いのち」のようなものであるといわれます。そして〈おじひ〉の体験を世代から世代へと継承していくことは、すべての生物が「いのち」を継承し、その存続を確かなものにしていくのとそっくりです。そんな〈おじひ〉の継承について考えてみました。

学びの森

自ら行ずることを怠らない。それが〈おじひ〉の継承に
「〈おじひ〉の体験」というかけがえのない体験をさせていただくわたしたち中山身語正宗人は、〈おじひ〉の親たる「み仏」の大慈・大悲がわたしたち一人ひとりの上に、嘘でも偽りでもなく、まるで太陽の光が降り注ぐように降り注がれていることを確信させていただきます。
中山身語正宗では、み仏のこの広大無辺の大加被力であるみ仏の大慈・大悲の働きを「他力」と呼んでいます。そして、このみ仏の働きたる「他力」に精一杯応(こた)えようとして、「み仏一つを目当てに」したわたしたち自身の精進努力の全てを「自力」といっています。

わたしたちの「自力」は、まずみ仏に向かっての「行願」として表わされ、み仏の〈おじひ〉のままに実践実行する「お行」となって現われてきます。そのため、中山身語正宗の信心は、全宗人が一人残らず自分の方から「お行をする」信心の実践者となることで具体化されるのです。
本宗の「お行」は、お行のための行であってはならず、「行誇(ぎょうぼこ)り」をするような行であってはなりません。本宗の「お行」は、謙虚さをもってこそ、み仏にしっかりと受け取っていただけるのです。そのため、本宗の信心においては、み仏に対する「謙虚」さや「素直」さということを殊(こと)の外(ほか)大切にします。そして、宗祖上人は、だれよりも「謙虚」で「素直」だったと語り継がれています。

宗祖上人は、宿屋でも縁あるお方のお家でも宿泊された折は、翌朝必ず使った布団等はご自分で畳んで部屋の隅に片付けられていました。そして、布団をあげにこられたお方が恐縮されるたびに「いえいえ、布団菩薩様、枕如来様のお陰で休ませてもろうたんじゃから、畳ませてもらわんと申し訳なかもん」といわれるのが常であったと伝えられています。この宗祖上人のエピソードは、宗祖上人が布団を菩薩と思い、枕を如来と信じておられたといっている訳ではありません。布団を畳みにきて恐縮されるお方に対して、ご自身のされたことが「いかにも当てつけがましく」受け取られることのないよう、「布団を菩薩、枕を如来の大慈・大悲の働きの現われと思える身にとって、畳ませていただくのは当然のこと。あなたが何の恐縮される必要もありませんよ」と暗にお伝えされる宗祖上人の心配りのあり様を伝えるエピソードとして味わってみたいものだと思うのです。

信仰をする者にとっての「謙虚」さや「素直」さの根底には、必ず神仏への思いがしっかりと踏まえられているはずです。こうした、神仏への常日頃からの配慮がきっちりと身についたものとなっている姿こそ、「仏一つを目当てに」している信仰者の姿なのだ、というのが本宗の信心における確信です。 中山身語正宗の信心では、「当(マサ)ニ信ヲ仏ニオクベシ」といわれます。ではなぜ、わたしたちは、信を仏に置くことができるのでしょうか。それは、み仏の働きたる「他力」を嘘、偽りではない〈おじひ〉の体験として、本宗人のだれもが体験させていただけるからです。この〈おじひ〉の体験を正しく継承してこれたわたしたちは、それを更に次の世代へと伝えていくために、自ら行ずることを怠(おこた)ってはならないのです。

「こすもす」358号(平成22年10月5日発行)より


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