平成24年・バックナンバー

平成24年8月
初めての方のための「身語正」入門[18]


今回は、前回触れた「心の行」についてもう少し詳しく考えていくことにします。ここでいう「心」とは、「ものの見方、考え方」のことであり、仏教的なものの見方、考え方に則(そく)した「心」づくりをいかにしていくか、ということです。

学びの森

「心の行」とは、本宗における「一事一物に対しても・・・」という生き方
仏教では、「心(すなわち、ものの見方、考え方)」を極めて大事にしてきました。それは「八正道(はっしょうどう)」の「正見(しょうけん)(正しいものの見方)」や「六波羅蜜(ろくはらみつ)」の「智慧(ちえ)」がそれらの実践の中核であるといわれてきたところからも十分に伺い知ることができます。ですから、本宗における三つの行の中で「心の行」が特に大切にされねばならないことはいうまでもありません。では、わたしたちは、「形の行」や「菩薩の浄行」を通して、どのように「心の行」をしていけばいいのでしょうか。

「原始仏教では、人間がいかなる時、いかなる所においても、〈遵守(じゅんしゅ)すべき永遠の理法〉があると考え、それを〈法(ダルマ)〉と呼んだ」といわれ、その〈永遠の理法〉たる「縁起の理法」について、「如来が世に出てもあるいはいまだ世に出なくても、この理は定まったものである」。如来はただこの理法を覚(さと)って「覚り(正等覚(しょうとうがく))」を実践し、衆生のために宣説(せんぜつ)し、開示しただけにすぎない、という決まり文句として語ってきた、といわれます(『バウッダ[佛教]』中村元・三枝充悳著、小学館ライブラリー)。そして、この「縁起」とは、「仏教の中心思想で、一切のもの(精神的な働きも含む)は種々の因(原因・直接原因)や縁(条件・間接原因)によって生じるという考えを表す」(『岩波仏教辞典』77ページ)と説明されます。そして、仏教のこうしたものの見方、考え方を仏教の教えを示す旗印として掲げたのが「三(四)法印(ぼういん)」と呼ばれる教えです。

「三(四)法印」とは、
諸行無常(しょぎょうむじょう)(すべての物事は、常に変化していて、滞(とど)まることがない)
諸法無我(しょほうむが)(なぜなら、すべての物事には、永遠不変の本質がないから)
一切皆苦(いっさいかいく)(変化して滞(とどこお)ることのない物事に変化せず滞って欲しいと願っても叶えられるはずはないので、その願いは常に裏切られる。そのため願い通りにならない虚(むな)しさ、苦しみが生じる)
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)(だからこそ、仏教的正しいものの見方、考え方をさとり、身につけて、真実の平安を得るべきである)
の4つのことばのことです。

わたしたちが、正しく「縁起の理法」を体解(たいげ)し体得(たいとく)して日々を生きることができるようになった時、その人は「正見」を得、「智慧」を獲得したといわれるのです。
ことばを換えていうと、わたしたちが「心の行」を積み重ね、心を本当に磨ききれたら、その人はきっとすべての物事の「あるがまま」を「あるがまま」に見て、生きてある今、自分のなさねばならないことをしっかりと見極め、常に肯定的で前向きな努力を怠らない人になるに違いありません。
「心の行」は、わたしたちが生きることを心底より感謝し、喜び、生きる努力を心底から楽しむわたしたちへと成長させるお行なのです。そんな生き方を本宗では、
 「一事一物に対しても報恩感謝の念をもって精進努力する」(『おさづけ』第五条)
生き方だといっているのです。そして、わたしたちに「そうした生き方をして欲しい」と願って下さるお方こそ、本宗の教え主(ぬし)たる「〈おじひ〉の親」というみ仏なのです。

「こすもす」355号(平成22年7月5日発行)より


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