平成24年・バックナンバー

平成24年6月
初めての方のための「身語正」入門[16]


中山身語正宗の信心をするすべての人に対し、み仏は「行ずる」ことを求められます。入信して間のないお同行は、「行ぜよ」といわれると一様にびっくりされます。そして「何を、どうしたらお行をしたことになるのか」が分からず迷われます。さあ、みなさんはどうですか。

学びの森

「お行の宗教」といわれる本宗のその「お行」とは
宗祖上人のおことばに、
「お行とは、読んで字のごとく『行くこと』ばい。み仏に向かって行くこと、それが行ばい」
というお諭(さと)しがあったことが伝えられています。修行とは、この行を修する(実践、実行する)ことです。
仏教で「仏」とは、仏教という信心の最終目標である「さとり」を成就した人のことをいいますから、仏に向かって「行く」とは、この「さとり」を自分のこととして成就しようと思って努力することに他なりません。しかし、この「さとり」とは何か、仏教ではなかなかことばには表わし難(がた)い、とされてきました。そのため、仏道修行が「さとり」を目指すものであることは、はっきりしているものの、至(いた)りつくべき「さとり」がはっきりしないため、修行は難しいものだ、とされてきたのです。

中山身語正宗は、この仏教の信心に連なる信心ですので、その最終目標は、「さとり」を成就することに置いています。しかし、やはり「さとり」とは何かをことばで明確に表わしてはくれません。その替わり、中山身語正宗の信心は、〈おじひ〉の宗教といわれる通り、み仏が直々にこのわたしたち一人ひとりに〈おじひ〉を授けて下さって、「今」「ここに」「このようにしている」わたしたち一人ひとりに「何をし」「何に気づくべきか」をしっかりと示して下さいます。そして、み仏が〈おじひ〉を通して示して下さる「わたしのなすべきこと」を至心(ししん)に実践していくと、その時々み仏がわたしに気づかせたいと思っておられる「み仏のこころ」を間違いなく授けていただけます。そのため本宗では、み仏が〈おじひ〉を通して示して下さったことを、〈おじひ〉のままに実践することが、わたしがみ仏に向かって行くことになると確信し、〈おじひ〉のままに実践、実行することを、すべて「お行」と受け取らせていただくのです。

その結果、〈おじひ〉のままに行ずる(生きる)中山身語正宗の信心にあっては、「行ずること」で気づかせていただく「気づき」の深さの大事さが改めて実感されることになります。それが、み仏のこころの深さ、大きさ、不思議さを実感することでもありました。
中山身語正宗の信心においては、このように〈おじひ〉を通して示していただいた、「今、このわたしのなすべきこと」という具体的な実践を、素直に、まごころ込めて、み仏のみこころに叶うことだけを願って行じるという「修行」だけが明示されます。ですから、本宗の「お行」は、決して難しいものにはなりません。あまりにも明らかで、具体的で授かるわたしに必ず実践、実行できるものなのです。そして、そのお行が、み仏のみこころに叶ったものとして実践された時には、必ずその証(あかし)を実感させていただけます。そのため、本宗の信心は、み仏が「現世利益(げんぜりやく)をもって本願とする」と明言して下さるのです。
こうした本宗の「行」の本当の意味が理解出来た時には、もう理屈も何もなく、素直にお行に入っていける自分が発見できるはずです。その時、本宗の信心が「お行の宗教」といわれる意味も、心底から味わっていただけるに違いありません。

「こすもす」353号(平成22年5月5日発行)より


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