平成24年・バックナンバー

平成24年3月
初めての方のための「身語正」入門[13]


中山身語正宗の信心の実際は、「おすがり」と呼ばれる本宗独自の実践の姿の中に結実されます。み仏に向かって「いかにすがりきれる自分となれるか」。どのようにすれば、最もよい「おすがり」ができるか。本宗ではこれを「親仏」から学び、指導してもらう信心をしてきました。

学びの森

み仏に向かって「すがりきれる自分となれる」ためには
前々回、〈おじひ〉の親たるみ仏の実在を確信する、というお話をいたしました。ところが、この確信すべきみ仏は、実は、わたしたちの五感でそれを捉(とら)えることはできません。ただ、「宗教体験」といわれる体験を通してのみ、その実在を捉えられると考えられています。
仏教の修行の中では、み仏の実在を宗教体験として捉えるための方法が幾つか工夫されてきました。中山身語正宗の信心においては、それは「おすがり」として実践されてきました。

「おすがり」は、仏前でひたすら「なむあみだぶつ」と唱え続けることで行われます。基本的な型(かた)としては、最初は「早念仏(はやねんぶつ)」といわれる通り、「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ……」と、出来る限り速くお唱えさせていただきます。この時身体は、限りなくみ仏のみ前にひれ伏す気持ちを表すため、正座をして両ひじと額(ひたい)とを畳に当てるようにします。
中山身語正宗の信心においては、行ずる時のわが意(こころ)の中に「おごり、計(はか)らい」などがあってはならないとされます。しかし、単調な「おすがり」では、どうしてもそういう意(こころ)を完全に取り去ることは、そう簡単ではありません。

だからこそ、み仏の実在を実感できていなくても、まずは心底からみ仏に向かいきる心構えが大切になってきます。
仏教では、よく「信は荘厳(そうごん)から」といわれます。その意味は、み仏の実在を確信したいと思う心があるならば、これから「すがらせていただく」ご仏前において、ここにみ仏が来て下さるという思いができていなくてはなりません。そのためにも、み仏のお座りいただく須弥壇(しゅみだん)(あるいはご仏壇)を、しっかりと整えさせていただくことが大事です。このように須弥壇などの「ご内陣」を荘厳(みごとに整えること)してお行に入らせていただこうとすることが、正(まさ)しく「信をいただききるために、まずは荘厳から整えさせていただく」ということなのです。
荘厳を整えるということは、決して華美(かび)に飾りたてるということではありません。よく整った荘厳には、自ずから心をも整えてくれるものが出てくるということです。
また、ご仏前で心底からすがりきれるためには、自分の心もしっかりと整えておく必要があります。では自分の心を整えるということは、どういうことでしょうか。

宗祖上人はそれを、
「私程(わたくしほど)浅ましい者は、も一人と外(ほか)にありません」
といいきる自分になることだ、といわれていたように思います。
み仏のみ前に額(ぬか)づくわが身を「三歳児、赤子のごとく」にせよ、といわれるのも、またこの意味であって自分の力や計らいで何事もやり遂げられるような自分になろうとするのではなく、み仏の〈おじひ〉のままに全身全霊で向かっていこうとする姿が最も望まれています。
中山身語正宗の信心では、み仏が示して下さる「わたしの、今なすべきこと」に十二分に応えきれる自分になろうとしているのか否(いな)か、ここが最も大切で、この信心こそが「自他合力の法門」と呼ばれる本当の意味ではないかと確信します。

こすもす 348号より


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