平成23年・バックナンバー

平成23年10月
初めての方のための「身語正」入門[8]


仏教において最も重要視される「こころ(ものの見方、考え方)」とは一体何なのか。今回は、解剖学を通して脳の働きを考えてこられた養老孟司氏のお話に学びつつ、仏教の本来の立場についても改めて論及し、「こころ」をより深く理解するための第一歩を踏み出してみたいと思います。 学びの森

本宗において「体験」とは、「こころ」と「身体」による自分磨き
突然ですが、みなさんは「机上の空論」ということばをご存知のことと思います。行動の伴わない頭の中だけの思いは、実は虚しいものであるという意味です。
『バカの壁』(新潮新書)で有名な養老孟司氏のお話を聞いていて改めて教えていただくことの一つに、「動く、すなわち筋肉の運動をすることが意識、すなわち心の訓練につながる。人間の心と身体(からだ)は密接につながっていて、心だけの働き、身体だけの働きというものは本来ありえないのだ」という事実があります。そして、人間は「世界の違いを発見するための感覚」と「全く異質なものを同じと考える意識」とによって、「ことばを使う」「お金を使う」という他の生き物がしないことを「する」ようになった、ともいわれます。

養老氏のいわれる「感覚」や「意識」は、仏教では正(まさ)しく「こころ」といわれるものの一部をなしていました。すなわち、「こころ(ものの見方、考え方)」は、一人ひとりの持っている「感覚」では、世界を自分だけの見方で捉(とら)えていて、他の人の感覚と微妙に違っていることを発見し、あるいは発見するために「ことば」を使い、ことばを通して解り合おうと努力しているというのです。また、人間の「意識」では、お金というものを発明し、全く異質な物と物とを「等しい価値がある」と考えて交換することが出来るようになったことで、新しい価値の創造をしてきたといいます。こうして養老氏は、脳の研究を通して人間の心をまず「感覚」と「意識」という面から説明していかれるのです。

仏教では、初めわたしたちの「こころ」を「受(感受作用)」「想(表象作用)」「行(意志作用)」「識(認識作用)」の四つに分けて理解してきました。すなわち人間は、五感といわれる目、耳、鼻、舌、身(からだ)(皮膚)の五つの感覚器官を通して外界(がいかい)からの刺激を受けとめ(受)、そうして受けとめたものに対して「このリンゴは甘い」とか「すっぱい」とかいい表し(想)、だから、「このリンゴはイヤ」といってリンゴを吐き出す(行)、その結果、「このリンゴは10円でも、もう欲しくない」などと思う(識)のだ、というのです。

実は、こうした「こころ」には、必ず「リンゴを食べる」「リンゴを吐き出す」「もうこのリンゴは手にしたくない」と思い、実際そうするといった動きが伴うことで、その「こころ(ものの見方、考え方)」がしっかりと自覚された、身についたものとなっていくことが理解されていたのです。
中山身語正宗の信心が「〈おじひ〉の宗教」「実践、実行の宗教」といわれてきたのは、わたしたちの信心が単に「頭で思うだけのものではなく」また、ただ行動するだけのものでもない。行動を通して「こころ」を磨き、「正しいものの見方、考え方というこころ」を身につけることで、正しい行動(実践、実行)をしていくことを目指すものであったということを、改めて確認しておきたいものだと思わせていただきます。
中山身語正宗の信心において重視される「体験」とは、正(まさ)しくこのような「こころ」と「身体」による自分磨きのためのものだったのですね。

こすもす 340号より


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