平成23年・バックナンバー

平成23年7月
初めての方のための「身語正」入門[5]


〈おじひ〉を授かるという宗教体験を、なぜ本宗では「誰もが授かれるもの」と確信させていただくのでしょうか。また、〈おじひ〉を授かるという宗教体験を自分のこととしていくために欠かせない「お行」とは何だったのか。そんなことを考えるきっかけを示してみましょう。      学びの森

お行(発菩提心)をもって実感する〈おじひ〉の存在
〈おじひ〉を授かるという宗教体験は、中山身語正宗の信心(宗教的実践)にとって「いのち」ともいわれます。そして、この宗教体験を身をもって授かった方々にとって、これ程かけがえのない歓びはありません。〈おじひ〉を授かるという宗教体験に則(そく)して信仰生活をする人にとって信心の日々は「歓びの日々」に他ならないのです。

中山身語正宗の信心では、この〈おじひ〉を授かるという宗教体験が信仰の「いのち」そのものですから中山身語正宗の信心に生きる全ての人に例外なくそれは「流れ」ています。わたしたちが日々「生きている」時、わたしたちの身体の中に「血」は脈脈と流れ、呼吸する毎に清澄な空気が身体の隅々にまで浸透していくように、中山身語正宗の信心に生きるわたしたちの身体には、〈おじひ〉が満ち溢(あふ)れているのです。
しかし、わたしたちが日々、自分の体内を巡る血のあたたかさを実感することなく、あるいは身体の隅々にまで活力を湧(わ)きたたせるための大切な空気が満ち溢れているのに、ほとんどそれに意識を向けることがないように、この〈おじひ〉という「いのち」に心を向けることがない。これが現実です。
そこで、中山身語正宗の信心においては、普段わたしたちがほとんど意識することのない現実を大きく転回させ、しみじみと〈おじひ〉に満たされていたことの実感を自分に取り戻そうとするのです。そのために無くてはならないもの、それが「お行」だったのです。

宗祖覚恵上人は、
「お行とは、行くこと。仏に向かって行くことだ」
と教え諭(さと)して下さっています。
中山身語正宗の信心の真の目標は仏教本来の真の目標である「さとりを得て、自らが仏(覚者(かくしゃ))となること」に置いています。そして、この意識を「自覚」して歩こうとすることを、仏教では、「発菩提心(ほつぼだいしん)。菩提すなわちさとりを得ようとする心(決意)を発(おこ)す」といってきました。「仏に向かって行く」とは、この発菩提心をもって信仰生活をするということです。
その時、中山身語正宗の信心においては、この発菩提心を実際に正しく、具体的に導いてくれる原動力として、わたしの身体に満ち溢れている〈おじひ〉のあることを確信させていただくのです。
〈おじひ〉とは、全ての人が仏に向かおう、発菩提心をもって正しい信仰生活をしていこうと決意した時、既(すで)にわたしを正しく導かんがための原動力であり、既にそれが自分に具(そな)わっていたことを確信させていただけるものであったのです。

こんな〈おじひ〉の存在に気付かせていただいた時のわたしたちは、ただひたすらに「それを正しく受け止め、理解し、〈おじひ〉のままに生きていきたい」と切実に願う自分になっていけるのです。
お行をすることは、中山身語正宗の信心にとって、最も大切な地盤です。そこで現在本宗では、中山身語正宗の信心の要(かなめ)であるこの「お行」を、中山身語正宗人の生きる地盤(風土)として、改めて味わい直していこうという運動を持ち出しています。

こすもす 337号より


学びの森・バックナンバーはこちら

サイトマップ ページトップへ

Copyright 中山身語正宗 All Rights Reserved.