平成23年・バックナンバー

平成23年5月
初めての方のための「身語正」入門[3]


〈おじひ〉は、中山身語正宗の信心を語る上での最も大切な「キーワード」です。宗祖上人は、この〈おじひ〉は、広い意味では全ての正しい宗教にあるとした上で、中山身語正宗は、それを「生きたもの」として授かり活かす信心であることを明らかにされたと確信されています。

                   

学びの森

中山身語正宗の信心の要である〈おじひ〉とは?
宗祖上人が少年時代にみ仏より授かられた〈おじひ〉として、次のようなものがあったことが伝えられています。
近所の友だちと遊んでいた少年の宗祖上人は、青く晴れわたった空を指さし「あっ、星が見える」と口走ったといいます。また、ある時「坊上(基山(きざん))へは、その内座ったままで登れる」とも。多分、西南戦争の行われていた頃、「その内、戦争は空でばかりするようになる」と。

これらは、全て明治10年代の初め頃までの宗祖上人の口から出たことばでした。今から考えるとそれは当り前と思われることばかりです。星は、昼間であっても夜であっても同じように天空にあって輝いています。標高404メートルの基山には車道が通り、駐車場もあります。飛行機の発明以来「空軍力」が戦争の要(かなめ)となっているのも事実です。しかし、明治初期の日本人にとって、そのいずれもが「空想すらできない」ことであったのも事実です。では、幼い宗祖上人にはなぜそのような予見じみた言動ができたのでしょうか。それを宗祖上人は、「自分でそんなことを言おうと思ったのではない。わたしの胸ん中にいる方が、わたしの口を使って勝手にそういうのだ」と説明されています。
中山身語正宗の信心における〈おじひ〉の体験は、宗祖上人が説明される通り、正(まさ)しくそのような「自分の意志」とは全く係わりのない体験として、「授かる」としかいいようのないものとして体験されます。

宗祖上人は、神仏とは「わたしたちに〈おじひ〉を授けて下さる方」であり、だからこそ、わたしたちが真っ直ぐ神仏に向かい合い、素直に神仏にすがりぬくなら、必ず神仏がこのわたしに授けて下さっている〈おじひ〉を正(ただ)しく受け止めきることができると教えて下さるのです。
中山身語正宗の信心においては、これを「信ヲ仏ニオキ」「三歳児(みつご)になって赤子になって、伊達や飾りを捨て」「素直に」み仏にすがりぬく、すなわち「頼む一念」になりきってみ仏に向かう時、「身に正(まさ)しく如来の語(ことば)(すなわち〈おじひ〉)を授かる」といっています。
その結果、中山身語正宗の信心においては、この〈おじひ〉を授かりきるためにお行をし、授かった〈おじひ〉のままに実践し、そこでみ仏がこのわたしに授けようとされている「み仏のみこころ(仏教的な正しいものの見方、考え方)」を気付かせていただくのです。そして、み仏のみこころを正しく授かることによって、初めて「み仏がこのわたしに掛けて下さる思い、願い」に叶ったわたしになろうと努力する自分が生まれ出てくるのです。そして、み仏の願いに叶った自分へと成長することを願いつつ、仏道を歩かせていただくことを「修行」といいます。

中山身語正宗の信心をする人は、全てこのような「お行」をする人であり、宗教的実践をする人であり、仏道成就を目指す「修行者」であって欲しいという願いをみ仏から掛けていただく人であることを示すため、み仏から「身語正行者」と呼んでいただくのだ、と確信されています。 〈おじひ〉とは、人智を超えたみ仏のおことばに他なりません。

こすもす 335号より


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