平成23年・バックナンバー

平成23年2月
「身語正教学」講義[31]


テキスト『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」から直々授かられた「み教え」と「ご信心」がどのようなものであったかを、体系的に明らかにしようとするものです。テキストを傍(かたわら)に、共々学びましょう。 学びの森

身語正行者とは、「慈」と「悲」の実践によって「真の菩薩」になる人
中山身語正宗の信心を実践するわたしたち一人ひとりを、身語正教主(きょうしゅ)「根本大悲(こんぽんだいひ)の親(ご本尊中山不動尊)」は、「身語正行者」と呼んで下さり「真(まこと)の菩薩」となって生きよ、といって下さいます。
み仏は、わたしたち一人ひとりを「身語正行者」とお呼び下さる時、わたしたちに「慈(他のものをよろこばせることのできる行い)」と「悲(他のものの苦しみをしっかり受け止め、自分のことのように痛感して、〈何とかしてあげたい〉と心底から願える行い)」の実践者になれといわれます。その上で、「慈」と「悲」の実践をすることによって、しっかりと「み仏のみこころ(物事を正しく見極めることによって得られる正しいものの見方、考え方としての智慧(ちえ)のこと)」をいただきあげられる「真の菩薩」になれといわれます。
そんなわたしになるために、み仏は〈おじひ〉を授けて下さり、〈おじひ〉のままに生きるわたしになることで、その行願をみごとに成就しあげてやろうとご苦労下さるのです。

中山身語正宗の信心は、いってみれば、このような信心です。そして「自分一人がそのように実践し、助かりを得ればよい」というのではなく、周りの多くの人々にも「そのようにあって欲しい」という願いをもって、常に働きかけていくことが大事だと教えていただきます。
こうした中山身語正宗の信心の土台をなすのは、み仏に向かって至心(ししん)に行ずる、わたしたち一人ひとりの「行願(お行)」です。そして、そのお行を支えるのは、み仏に対しての「素直さ」です。こうした、素直さに裏付けられたお行を日夜実践することによって、わたしたちは日々「気づき」をいただかせていただきます。

人間は、未熟な存在として生まれてくるが故(ゆえ)に、学び続けることで自らを成長させることができます。そして、わたしたちの目指そうとしているところは、自らが「み仏のようになる(これを仏教では〈成仏(じょうぶつ)〉といいます)」ことを目指します。しかし、それは一朝一夕(いっちょういっせき)で完成されるものではありません。ですから完成を目指してひたすら努力をさせていただくのです。そして、その努力する日々をよろこびとして歩めるようになった人こそ「真の菩薩」なのだといっていただくのです。

中山身語正宗では、こうして日々の努力をよろこばせていただき、新たな明日に向かって力強く歩かせていただく「わたし」の姿を、「身に即(そく)して仏を成(じょう)ずる(中山身語正宗の中で説かれる即身成仏(そくしんじょうぶつ)の意味)」といいます。
こんな本宗の教えを、30回余にわたってお話してまいりました。同じことを繰り返しお話してきたようにも思えますが、中山身語正宗の目指そうとするところを、この様に学んでみるのも、決して無駄ではないだろうと確信してのことです。

こすもす 331号より


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