平成23年・バックナンバー

平成23年1月
「身語正教学」講義[30]


テキスト『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」から直々授かられた「み教え」と「ご信心」がどのようなものであったかを、体系的に明らかにしようとするものです。テキストを傍(かたわら)に、共々学びましょう。 学びの森

中山不動尊は、わたしたちを「真理」に目覚めさせる「大導師」
仏教では、仏様を「ブッダ(目覚めた人)」と呼びます。このことばの意味は、「真理(ダルマ)を正しくさとった人」という意味です。
仏教の開祖「釈尊(ゴータマ・ブッダ)」は、正(まさ)しく「目覚めた人」であり、また、すべての人間に「あなた自身がこの目覚めを実現したいという願いが発(おこ)るなら(これを発菩提心(ほつぼだいしん)・発心(ほっしん)といいます)、いかにすればいいかを教え示してあげよう」といって下さったお方なのです。
そこで、「釈尊」を始め多くのみ仏たちを「大導師(だいどうし)(偉大な導き手)」とお呼びさせていただきます。

中山身語正宗において仏様というと、それはまず、身語正教主(きょうしゅ)(身語正という仏教の信心・法門をこの世に持ち出す上での教え主)である根本大悲(こんぽんだいひ)の親(このみ仏がご自身の働きとして、最も大切にされるのが大悲という働きであること。そして、このみ仏は全ての人々にとって親のような存在としていて下さるということ)であり、このみ仏がこの世に出られる時のお姿が、中山不動尊(昔から中山と呼称されてきた基山の地に不動尊のお姿を採って現れるという意味)です。
ですから、身語正教主「根本大悲の親(ご本尊中山不動尊)」の最も大切なわたしたちに対しての働きは、わたしたちを真理に目覚めさせるために「何を」「どのように」してやるかを教える、ということだったのです。

仏教では、伝統的にみ仏のなさる働きを、
「自覚覚他(じかくかくた) 覚行円満(かくぎょうえんまん)」
といってきました。「自覚」とは、み仏ご自身がさとるためにしてこられた行いをいい、これが成就したからこそ「目覚めた人(ブッダ)」になられたのです。「覚他」とは、他の人を、この目覚めに導くことをいいます。すなわち、他の人々をさとりの境界に導くということです。そして、み仏は「自覚」も「覚他」もみごとに、完全になしとげられる方であるため「覚行(自覚や覚他に導くあらゆる方法)を円満(完全に身につけておられる)」というのです。そして、この「自覚」を実現するために行う「行願」が「自利行」であり、「覚他」を促(うなが)すための方法を駆使することが「利他行」と呼ばれたのです。そして、そのための「覚行が完全に備えられていること」を「善行方便(ぜんぎょうほうべん)を巡らす」というのです。

仏教の目指そうとしていたところは、全ての人々に「ブッダ(目覚めた人)」になってほしいということでした。もし、わたしたちが「ブッダ」になれたとしたら、一瞬たりとも滞(とど)まることのない、生々流転(せいせいるてん)して生き続ける現実世界の中にあって、生滅変化(しょうめつへんか)する一事一物に一喜一憂するのではなく、穏やかな心の状態を保ちつつ、その一事一物をしっかりかみしめ、生を享受(きょうじゅ)し、死を尊く受け止め、共々に生きることのできた万物に心底からの感謝の念を持って生き続けられる、といわれます。
そして、そんな生き方が出来た時そこに現れ出てくる世界こそ、世界平和が実現された世界なのだと教えてくれるのです。
仏教を学び、仏教の信心を日々実践して、わたしたちが築き上げようとしているのは、実はこのような世界であったということを、まずは理解しておきたいものだと思います。

こすもす 329号より


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