平成22年・バックナンバー

平成22年12月
「身語正教学」講義[29]


テキスト『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」から直々授かられた「み教え」と「ご信心」がどのようなものであったかを、体系的に明らかにしようとするものです。テキストを傍(かたわら)に、共々学びましょう。 学びの森

本宗の「なむあみだぶつ」は、み仏にまこと一つで向かう時の名号
宗祖覚恵上人のご生涯は、〈おじひ〉のままに生きられたご生涯であったと確信させていただくのが、本宗の基本です。そして、中山身語正宗の信仰に結縁(けちえん)させていただいた全ての宗人にとって、〈おじひ〉のままに生きることこそ、最高の目標です。それ故(ゆえ)に、宗祖上人の生き様がわたしたちにとって最良のお手本とされるのです。
宗祖覚恵上人は、自らが望んで一宗の「開祖(宗祖)」となろうとされたお方ではありません。〈おじひ〉のままに生きていったら、み仏が真に望まれた通りの「中山身語正宗の宗祖」になりきられたのです。
そのため、宗祖覚恵上人を通してこの世に持ち出されることになった「身語正」という仏教の信心に基づく「中山身語正宗」の全ては、み仏より直々(じきじき)に持ち出されたものであったと確信されるのです。

では、み仏が宗祖上人に託された「身語正」という信心は、一体どのようなものであったのでしょうか。それは、端的には「頼む一念身語正」ということばで表されます。 「頼む一念」とは、わたしたちがみ仏に向かって、すがって、すがってすがりぬく「お行」の姿として現れるものをいいます。そして「身語正」とは、み仏がこのわたしを助けずにはおかん、導かずにはおかんといわれて、わたしたち一人ひとりに授けて下さる〈おじひ〉のことをいいます。
わたしたちが「頼む一念」でみ仏にすがりきる時には、「なむあみだぶつ」という名号(みょうごう)をもって行えとみ仏は物心ついたばかりの幼い宗祖上人に「身を以(もっ)て学びとらされ」ました。宗祖上人がみ仏から授けていただいた「なむあみだぶつ」は、ただただみ仏にすがりぬく、「まこと」一つを大切にせよと示されるものでした。すがる「み仏」を定めるものではなく、すがる「み仏」を選ぶことのない、まこと一つで行われる絶対帰依心を顕(あらわ)しきるものだったのです。

ですから、中山身語正宗の「なむあみだぶつ」は、従来の仏教の常識的な理解を超えた純粋性を秘めていました。それは、あまりに素朴で、あまりに純粋であるが故に、全ての信仰の根底にあって、共通する真実を明らかにするものであったのです。
宗祖上人は、このような「なむあみだぶつ」をみ仏から授かり、この「なむあみだぶつ」の中にある真実を自らが明らかに示すと同時に、縁ある人々の心の中に、この真実が具現していくように、み仏の〈おじひ〉のままに導き続けられたのです。

宗祖上人は、この真実をことばで説き、理屈として表して人々を説得しようとはされませんでした。そうではなく、この真実を身を以て実践して体解(たいげ)、体得(たいとく)していこうとする人間の「目覚め」を促(うなが)されたのです。そして、その「目覚め」に向かってただひたすらに行じようとする人に出会われた時、厳しくも愛(いつく)しみ深く、その方々を教え諭(さと)されたのです。
「わたしに出来たことは、あなたにも出来る」と力強く教え励まされ、多くの人々の真実の「目覚め」を促されました。宗祖上人のこうしたご指導が第一代目の多くの親仏たちを「直弟子(じきでし)」の中から生み出され、中山身語正宗の基礎が確立しました。

こすもす 326号より


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