平成22年・バックナンバー

平成22年11月
「身語正教学」講義[28]


テキスト『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」から直々授かられた「み教え」と「ご信心」がどのようなものであったかを、体系的に明らかにしようとするものです。テキストを傍(かたわら)に、共々学びましょう。 学びの森

中山身語正宗の「信心」における「あるべき生き方」
人間の「こころ(ものの見方、考え方)」は、一体どのようにして育てられていくものなのでしょうか。
人間は、「ことば」を持ち、その「ことば」を巧みに発達、発展させることによって、他の動物たちが持つことのなかった巨大な「文明(ハードウェア)」と「文化(ソフトウェア)」を築いてきました。そしてその巨大な「人間的世界」は、文字によって綴(つづ)られ、記録され、かけがえのない遺産を構築していったのです。
人類の文明が築かれ始めて既に五千年という時間が経った、といわれます。その結果、現代のわたしたちは、そうした遺産に包まれて生きることになったのです。

ところが、一人の人間の一生は、今日においても「百年」を越えることは稀(まれ)です。すなわち、一人の人間は、たかだか「百年間」という時間の中で誕生から死までの「生涯」を築き、「いかに生きるべきか」を考え、見つけ、具現していかねばなりません。その上、そのようにして考え、見つけ、具現したものが絶対に「理想的」なものであったか否かはほとんど保証の限りではないのが現実です。それでも、わたしたちは、それを求めて止みません。
こんな現実の中で、人間は「神・仏」との出会いを得、「神・仏」を通しての確かなわたしの「あるべき生き方」を発見し、具現できるのだと確信してきました。
中山身語正宗の「信心」においては、それは〈おじひ〉を通して行われてきました。

〈おじひ〉とは、み仏がこのわたしを正しく導いてやりたいと心底から願って下さり、このわたしのために授け続けて下さるものを指していうことばです。そして、わたしたちは、それを「確かに受け止めた」という〈おじひ〉の体験を実感し、〈おじひ〉のままに、素直に一途に生きつづけることで得られた、このわたしの「生の現実(生涯)」をよろこびきることによって、わたしの「あるべき生き方」を生きさせていただけた、と確信してきました。
この確信は、「わたくし程幸せな者は、も一人と外(ほか)にはあるまい」という実感としていい表されてきたのです。そのため、み仏から「身語正行者」と呼んでいただくわたしたちにとって、この「ことば」は、本当に究極のよろこびに満ちた生き方をされたお方のおことばとして確信されてきたのです。
「わたくし程幸せな者が、も一人と外にあるだろうか」。こんなことばを心底から吐ききって、その生涯を終えることができた人(身語正行者)の「こころ(ものの見方、考え方)」が、どのようにその人の中に育てられてきたのかを探ることは、わたしたちにとって、最も肝心なことではなかったのか、と改めて思わせていただきます。

そして、こうした告白をすることのできた人の生き様が、大乗仏教を貫(つらぬ)く「菩薩」の姿を表す
「自利・利他二行の真(まこと)の実践者」
の姿そのものであったことを、改めて発見することによって、中山身語正宗の信仰(宗教)の真実を明らかに確信することができます。
こんな願いをもって、これからのお話しをすすめてまいります。

こすもす 325号より


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