平成22年・バックナンバー

平成22年6月
「身語正教学」講義[23]


テキスト『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」から直々授かられた「み教え」と「ご信心」がどのようなものであったかを、体系的に明らかにしようとするものです。テキストを傍(かたわら)に、共々学びましょう。 学びの森

〈おじひ〉を土台に、親仏が子仏を指導していく本宗の「お済度」とは
中山身語正宗において、親仏が同行(子仏ともいわれる)を〈おじひ〉を土台にして指導することを「お済度(さいど)」といいます。
元来、仏教において「済度」ということばは、「済(たす)け渡す」という意味であって、導かんとする人を「さとり」へとたすけ導こうとすることをいいます。「さとり」とは、仏教的な正しいものの見方、考え方を体解、体得した境地をいいますから、済度の真の目的は、仏教の指導者が導かんとする人に、こうした仏教的に正しいものの見方、考え方を身につけさせようとすることだ、といい換えることもできます。

しかし、人が心底から「さとり」を目指すようになるには、それなりの条件が整ってこなければなりません。今日が成り立たない窮地(きゅうち)にある人にそれを求めても、大方の場合「それどころじゃない」と見向きもされないに違いありません。そこで本宗の信心においては、
「せっぱつまった、どたん場の願いをば直(ただ)ちにききとどけ、仏智の大功徳を目の前に授けて驚かさなければ信ずる心にならんのだ」
といわれ、本宗の教主「根本大悲の親」は、「現世利益(げんぜりやく)をもって本願となし中山不動と世に出(い)ずるぞ」といわれたのです。そこで本宗では、「お済度」とは、み仏の授けて下さる現世利益と、それを通して授けていただく「驚覚(きょうがく)の信」に目覚めて信仰生活をさせることを指すことばとして使われるようになったのです。
こうした、「お済度」に託された真の意味が理解できたら、こうした願いをこの「わたし」にかけて下さる「み仏」の実在が確信されねばなりません。

中山身語正宗の信心において、このみ仏の実在を確信させていただきみ仏に対して「絶対の帰依心(きえしん)」を自覚させていただく機会こそ、「ご成就」なのだと確認していただかねばなりません。
宗祖覚恵上人は、物心つく頃から〈おじひ〉を授かるという宗教的体験を積み重ねてこられました。その結果、宗祖上人ご自身のこの「み仏の実在」に対する確信は、ゆるぎのないものになっていました。それ故(ゆえ)宗祖上人はご自身の示寂(じじゃく)の時に当って、「身語正」という仏教の信心の全てを伝え終えることができた身語正第二世覚照猊下に対して
「夫(そ)レ信ヲ学ニオクナカレ、信ヲ人ニオクナカレ、当(まさ)ニ信ヲ仏ニオクベシ」
と、改めて言い遺(のこ)されたのです。

すなわち、中山身語正宗の信心はその土台に「信ヲ仏ニオク」姿が確立されてこそ、現実の信心が「親仏子仏の関係」を通して実践されていくことが可能となるのです。そこで『おさづけ』の第一条では、み仏とわたしとの「現当二世(げんとうにせ)のご縁結」が行われる「ご成就」の大切さが説かれ、第二条では、その上に立って現実の本宗の信心が展開される折の要(かなめ)となる「親仏・子仏の関係」の尊いことが説かれているのです。
中山身語正宗の信心においては、「信ヲ仏ニオク」という基本が確立されている時、「親仏・子仏の関係」がこの信心になくてはならない関係になっていくという様子がしっかりと説かれていることを、今一度確認しておきましょう。

こすもす 316号より


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