平成22年・バックナンバー

平成22年3月
「身語正教学」講義[20]


テキスト『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」から直々授かられた「み教え」と「ご信心」がどのようなものであったかを、体系的に明らかにしようとするものです。テキストを傍(かたわら)に、共々学びましょう。 学びの森

仏教的な「ものの見方、考え方」の基本にある「相互関係」性
仏教で最も大切にされる「こころ(心・意)」とは、「仏教的なものの見方、考え方」のことである。わたしたちは、このように捉(とら)えていこうとしています。
人間にとって、「ものの見方、考え方」とは実に複雑なものです。極端ないい方をすると、人間の世界を根底で動かしているのが、この複雑な人間の「ものの見方、考え方」だということが出来るかもしれません。そこで仏教では、人間の行動の中には「反射的な行動」も無論ありますが、少なくとも「人間の意志が働いて起こる行動」の根底には、必ずその人の「ものの見方、考え方」が大きく寄与していると考えていきます。そして、人間にとって、その人の「ものの見方、考え方」が意志として働く行動には「善・悪」を問うことができるとするのです。

宗祖覚恵上人は、「人としてこの世に生まれて、何をすることが一番よいことか。何をすることが一番悪いことか」という問いに対して、み仏から「親を、ご先祖様を、世の人々をよろこばせることが一番よいこと」、反対に「親を、ご先祖様を、世の人々を泣かせることが一番悪いこと」だと教えていただいたといわれています。この時も、わたしたちの「ものの見方、考え方」としてそうしたものがわたしたちの「こころ」の働きの根底にあって、そこから親を、ご先祖様を、世の人々をよろこばせたいという意志を伴(ともな)って行う行動が最も大切だと示していただいているのです。

こうした行動が生まれてくるためには、「正しい仏教的ものの見方、考え方」が身についていなければなりません。そして、そうした「こころ」を身につけるためには、周りの人々に対する思いやりや相手をしっかり見つめる注意深さ、そして、相手をまず第一にする謙虚さなどが具(そな)わっていることが求められます。
自分勝手な、独(ひと)りよがり、自己中心的な考え方はしない。自分と相手との「関係」をしっかり理解して、その上で「最も良い対応とは何か」を考えていくことの大切さをしっかり自覚すべきです。わたしたちは仏教的な「ものの見方、考え方」の基本にある、「相互関係」性を身につけていかねばなりません。
人間として「自己中心的」ではなく、他の人々を自分のことのように思いやることのできる「ものの見方、考え方」がしっかりと身についたとき、人間が本来持っていると確信される「慈(じ)(他の人に対してよろこびを与えたいと思うこころ)」や「悲(ひ)(他の人々の苦しみをまるで自分のことのように受けとめ、その人々の苦しみを取り除いてあげたいと思うこころ)」が、より大きなものへと育ち、それを具体化するための「慈の実践」「悲の実践」として現れてくると考えます。

仏教的には、「こころ(すなわち仏教的なものの見方、考え方)」とは「智慧(ちえ)」のことであって、それが具体化していく「慈」「悲」の実践は、仏教者として最も身に具えていかねばならないものなのです。 仏教は、頭で想うだけでよしとするものではありません。頭に想い描(えが)いたものをいかに具現していくかを最も大切にする、まさしく「実践」そのものなのです。

こすもす 311号より


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