平成22年・バックナンバー

平成22年2月
「身語正教学」講義[19]


テキスト『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」から直々授かられた「み教え」と「ご信心」がどのようなものであったかを、体系的に明らかにしようとするものです。テキストを傍(かたわら)に、共々学びましょう。 学びの森

「さとり」に向かって正しく導いて下さる仏教の仏たち
仏教の「仏」は、本来「人」がさとりを開くことによって「成(な)る」ものです。そして、釈尊は正(まさ)しく今からおよそ2500年前、「仏」になられた「人」だったのです。
仏教は、この事実を基にして、更に「では、仏となる人は釈尊の外にはおられないのか」と問いかけ、釈尊以前にも「6人」の仏たちがわたしたちの住むこの世界におられた、と考えるに至ったのです。そして、この「6人」のみ仏たちと釈尊とを合わせて「過去七仏」と呼ぶようになったのです。

わたしたちの住むこの世界の過去世に7人のみ仏たちが居られたのなら、未来世に新たなみ仏が出てこられたとしても、何の不思議もありません。そして、仏典にはそんな未来仏として「弥勒仏(みろくぶつ)」の名前が登場していることが知られています。
すなわち、仏教では、わたしたちの住むこの世界の過去、現在、未来に数多くのみ仏たちが現れて当然と確信されていったのです。そしてこのみ仏たちは「三世(さんぜ)の諸仏」と総称されることになります。
「三世」とは、わたしたちの住むこの世界の過去、現在、未来の三つの時代のことです。では、世界は、このわたしたちの世界が「唯一」の世界なのでしょうか。仏教は、この問いに対して「否(いな)」と答えます。そして、わたしたちの住むこの世界を中心にして東西南北とその間を数える「八方」に上と下の「二方」を加える「十方」にも、わたしたちの住むこの世界のような世界が無数にある、といいます。これを「十方世界」といいます。そして、その世界にはそれぞれ「今(現在)」、必ず一人のみ仏が生きておられると考えるようになったのです。このみ仏たちを「現在他方仏(今、現在、わたしたちの住むこの世界以外の十方世界に生きておられる仏たち)」、あるいは「十方の諸仏」と総称します。この現在他方仏の代表的なみ仏が、阿弥陀如来や薬師如来です。

こうして仏教の中で次々に現れてくるみ仏たちは、全て元は「人」であって、長い時間行願に行願を積み重ね、無数の功徳を積み上げて「さとり」を開き、み仏となられた方々ばかりだったのです。
ですから、こうしたみ仏たちは、唯一絶対の創造神とされるキリスト教等の一神教と呼ばれる宗教の「神」とは、その性格が根本的に異っています。仏教の仏たちは、世界を創造する存在ではなく、「真理」を正しくさとることによって、自らも、そして自分の周りに集まる全ての人々に対しても「正しい導き」のできる偉大な「導師(正しい道へ人々を導かれる師)」なのです。

そして、仏教では、この正しい導きは「心」を正していくことによって具現されると確信されています。
「もろもろの物事(法)は意(こころ)が先に立ち、意が最上なものであり、意より成る。人はもしも清らかな意で語り、あるいは行うならば、それより、かれに楽しさのしたがい来ること、あたかも影が〔形に〕絶えずつきしたがうようなものである」(宮坂宥勝訳)という『法句経(ほっくきょう)』のことばは、改めて注目されるべきであろうと思います。そして、わたくしたちは、「こころ(心・意)」とは何であったかを学び直したいものです。

こすもす 309号より


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