平成22年・バックナンバー

平成22年1月
「身語正教学」講義[18]


テキスト『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」から直々授かられた「み教え」と「ご信心」がどのようなものであったかを、体系的に明らかにしようとするものです。テキストを傍(かたわら)に、共々学びましょう。 学びの森

仏教の開祖釈尊が、私たちに求められる「仏教者のあるべき姿」とは
仏教の開祖「釈尊(しゃくそん)」は、生まれて7日目に、生母マーヤ夫人と死別されたといわれます。そのため釈尊は、人一倍「死」ということに思いを馳(は)せることが多い少年になったのです。「死ぬということは悲しいことだ」。「死の苦しみを克服する方法があるものなら、それを自分のものにしたい」。釈尊は、いつの頃からかそう願い続けられました。そして青年時代のある日、「死を克服する方法があるとしたら、それは宗教的修行を通してしかないこと」を確信されるようになったのです。
小国といえども、一国の後継者の身に生まれた釈尊にかけられた願いは、立派な王として国を統治することでした。釈尊は、そのために勉学に励まれ、立派な王となるための種々の教養や技能を身につけられたのです。美しい妻も妻(め)取り、可愛い後継者たる男子にも恵まれた時、釈尊の思いは一気に「人生の最大の課題」を解決するための「出家」へと向かってしまったのです。
国を捨て、妻子を捨て「求道(ぐどう)」の道を歩み始めた釈尊の出家は、「大いなる放棄(ほうき)」と呼ばれています。地位も名誉も財産や家族まで捨てて求めるしかなかったもの、それがどんなものであったのかを正しく学ぶことは、仏弟子を自負する全ての人々にとって、最も大きな課題の一つです。

29歳で出家された釈尊は、自分が求めるべきもの(古代インドの宗教者は、共通してそれを〈さとり〉と呼んでいたようです)が「どのようなものであったか」を最初から理解しておられた訳ではありません。そのため釈尊は、著名な当時の宗教者の門下に入って、師の説かれる〈さとり〉を自らのものにしようと努められたのです。そして「師」から「それが〈さとり〉だ。よく身につけた」と認められて、初めて「それ」を味わい直され、自らの内的な欲求と重なり合い、得心しえるかを計られたのです。しかし結果的には、心底から得心できるもの(すなわち〈さとり〉)を得られた、とは思えなかったといいます。
そのため、釈尊は独りでそれを探すしかないことに気付かれ、死の直前まで行くことになる断食行に入られます。しかし、真の「さとり」には到れず、釈尊が最後に試みられたのは、静かなる冥想(めいそう)であったのです。冥想は、肉体をもってする苦行ではありません。自らと、自らを取り巻く現実世界とを透徹(とうてつ)して見究めようとする心の働きです。こうして釈尊は、自らが得心しうる「さとり」を得られました。それは正(まさ)しく「心の働き」においてのみ得られるものであったのです。

釈尊がさとられ、釈尊がわたしたちに説いて下さり、釈尊がわたしたちに求められた「仏教者のあるべき姿」とは、仏教的に正しいものの見方、考え方をしっかりと身につけ、その心の働きをもって現実世界に正しく対応し、自らの心を常に平安に保ち、人々の心を真の平安に導くことの出来る人間となることだったのです。
釈尊は、35歳の時、自らが真の「さとり」を得、自らが「真理に目覚めた者、さとりを体解体得した覚者(これをブッダ、仏といいます)」になったと確信されたのです。

こすもす 308号より


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