平成21年・バックナンバー

平成21年11月
「身語正教学」講義[16]


テキスト『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」から直々授かられた「み教え」と「ご信心」がどのようなものであったかを、体系的に明らかにしようとするものです。テキストを傍(かたわら)に、共々学びましょう。 学びの森

『おさづけ』の周知徹底や身語正教学の体系化に取り組まれた覚照猊下
宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(ご本尊中山不動尊)」より授かられた身語正の「信心」は、身語正第二世覚照猊下にみごとに継承(けいしょう)されました。その「信心」をご自分のものとされた覚照猊下は、この「信心」を久遠(くおん)に本宗人に継承してもらう「みちしるべ」として『おさづけ』という五カ条の条文にまとめ直し、成文化されたのは、宗祖上人が寂(じゃく)を示された6年後、本宗が「中山身語正宗」として立宗された2年後のことであったといわれます。
「信心」の継承をしていくための「みちしるべ」が確定した時、覚照猊下は、『おさづけ』に則(そく)した信心をいかに周知徹底(しゅうちてってい)していくかということと同時に、本宗の「信心」をいかに説明していくかという「身語正教学」の体系化への取り組みをご自身の大切な課題とされました。

立教以来既に三十年、高野山真言宗の傘下(さんか)で布教教化(ふきょうきょうげ)を継続し、ほんの数年前「中山身語正宗」と立宗したばかりの当時の本宗において、「身語正は、立教当初より身語正であった」という立脚点(りっきゃくてん)に立っての布教教化を始めることは、決して容易(ようい)なこととは思われませんでした。
覚照猊下がたった一人で試行錯誤(しこうさくご)されることになる「身語正教学」の体系化は、常にその当時の親仏・同行に対する布教教化の現場で行われる真剣勝負の色合(いろあ)いを非常に濃(こ)くもっていたのです。
身語正第二世としての覚照猊下がリーダーシップを取られた期間は、実に48年間に及ぶことになるのですが、特に「宗祖上人三十三年御恩忌大法要」が厳修された昭和五十年までの三十年余は、今日注意深く振り返らせていただかねばならない大切な時期ではなかったのかと思われます。
覚照猊下はこの時期、実に多彩(たさい)な方法を駆使(くし)して、親仏・同行を指導していかれました。すなわち、真言教学や浄土教学、あるいは一般仏教学の知識を援用(えんよう)するだけではなく、ご自身が身をもって学ばれた宗祖上人のさまざまなエピソードを通して「宗祖上人がみ仏から授かってこられたものは、何であったのか」を伝えていこうと努められたのです。

しかし、今日から改めて振り返ってみて痛感されることの一つに、覚照猊下の布教教化の多彩さが一部の親仏・同行にとって本宗のあるべき姿に幻惑(げんわく)をかけてしまうことになったのかもしれないという痛恨(つうこん)を覚(おぼ)えずにはおれないところがあります。
ともあれ、覚照猊下の精力的な布教教化は、着実に「身語正教学」の体系化に向かって「あるべき姿」を見事に形づくっていったことは間違いありません。
その覚照猊下の築(きず)いてこられたものを確かに受け継いでいこうとしたのが、「宗祖上人三十三年御恩忌大法要」の後に始まる「教理体系研究委員会(すなわち、現在の中山身語正宗教学研究所の前身)」だったのです。
教理体系研究委員会は、自(みずか)らの役割を「覚照猊下が築いてこられた身語正教学の体系化を、宗祖上人と覚照猊下のみこころにそった形で整理し、まとめ直すこと」だと確信しました。そして、その立脚点に置かれたものは、「身語正は、立教当初より身語正であった」という、このお二人の信念であったのです。

こすもす 306号より


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