平成21年・バックナンバー

平成21年10月
「身語正教学」講義[15]


テキスト『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」から直々授かられた「み教え」と「ご信心」がどのようなものであったかを、体系的に明らかにしようとするものです。テキストを傍(かたわら)に、共々学びましょう。 学びの森

宗祖上人最後のお諭し「信ヲ仏ニオク」とは
宗祖覚恵上人が身語正第二世覚照猊下に残された最期(さいご)のお諭(さと)しは、
「夫(そ)レ信ヲ学ニオクナカレ、信ヲ人ニオクナカレ、当(まさ)ニ信ヲ仏ニオクベシ」
とまとめられるおことばでした。
前回お話しした、「本当だろうか」と疑える「こころ」とは、実は「信ヲ学ニオクナカレ、信ヲ人ニオクナカレ」と改めて諭していただいたことと同じ意味であったということができると思います。すなわち、人間にとって、人間が考えて創(つく)った学問や学説は、常に人間の思考(しこう)の「途中」にあるものであって、それは絶対化できるものではない。また「人」はわずか百年にも満(み)たぬ生涯しか送ることのできない存在であって、更に人の思いや行いは「無常」で、決して絶対化してはいけないものだと諭していただいた、ということです。
決して絶対化できぬ「学」や「人」であるならば、絶対化そのものである「信」をどうして置くことができるでしょうか。
そこで宗祖上人は、わたしたちが絶対化、すなわち「信」を置くに値(あたい)するものは「み仏」という絶対的存在しかない、といわれます。では、わたしたちが「信ヲオク」べきみ仏とは、『身語正教学』においては、どのように考えられているのでしょうか。

宗祖上人ご自身は、自(みずか)らに〈おじひ〉を授け、導いて下さった、自らの宗教体験を通して確信されたお方を「み仏」と呼ばれます。そして、そのみ仏は、宗祖上人にとっては決して疑(うたが)うことの出来ないお方だったのです。
信仰する者にとって「自らが体験した宗教体験」は、自らの信仰を形づくる上の確固とした原点です。実は、すべての宗教は、この開祖の宗教体験を「どのように正しく継承するか(信心の継承)」と、それを「どのように体系的に語るか(教学の体系化)」を二本柱として進んでいくものです。そして、その継続的な歴史の積み重ねの上に、それぞれの宗教の「伝統」を形成していくのです。
宗祖上人は、自らに「身語正」という仏教の信心(法門)を授けて下さり、それを世界の人々に周知せしめて、世界の人々の真の安心(あんじん。心の中に本当の平和を確立すること)を与える手伝いをして欲しいと願われる「み仏」に絶対の信を置かれたのです。
宗祖上人は、この絶対の信を、身語正という仏教の信心(法門)に結縁(けちえん)する全ての人々に、正しく持ち届けてもらいたいと心底願われました。そして、どのようにすれば、それを正しく持ち届けられるかを、自らの後継者として薫育(くんいく)されようとした身語正第二世覚照猊下にみごとに伝えていかれたのです。

身語正第二世覚照猊下も、宗祖上人のこの思いを正しく受けとめられました。そして宗祖上人がご示寂(じじゃく)(昭和17年1月5日)され、太平洋戦争が終って新しく「信教の自由」が保証される時代が来た時、即座に「中山身語正宗」と立宗され、全宗人に「信心の要(かなめ)」がどこにあるかを知らしめるため『おさづけ』の五ヵ条の条文をまとめられたのです。 この『おさづけ』については、いずれ言及(げんきゅう)させていただく予定です。

こすもす 305号より


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