平成21年・バックナンバー

平成21年8月
「身語正教学」講義[13]


テキスト『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」から直々授かられた「み教え」と「ご信心」がどのようなものであったかを、体系的に明らかにしようとするものです。テキストを傍(かたわら)に、共々学びましょう。 学びの森

あるがままを、あるがままに見る。その時、生きる喜びも…
以前、浄土宗のある僧侶の書かれた文章を読ませていただいたことがあります。そこには、次のようなエピソードが紹介されていました。
その僧侶のお寺の檀家(だんか)さんでAさんといわれる人がいました。65歳前後であるらしいAさんは、ある時の検診でガンが発見されました。その結果Aさんは、さまざまな治療を試(こころ)みられたようですが、なかなか治療の効果が現れません。次第に病気の心痛からAさんの心に重苦しさが深まってきました。その僧侶のお方はAさんに「信心を通しての安らぎ」をいろいろ説かれたようです。
そんなある日、久し振りでAさんの方からお寺に足を運ばれたそうです。そして応対に出た住職であるその僧侶に向かって、
「今までは、この病気から逃(に)げることしか考えてこなかったけれど、ようやくこの病気とうまくつきあおうと思えるようになりました」
とご報告されたそうです。その時のAさんの表情は、ガンの宣告をされて以来、最も安らぎ、柔和(にゅうわ)だったといわれます。

前回、仏教という信心の基本的立場は、「こころ(ものの見方、考え方)」を最も重要視するものであることをお話しました。そして、そこで指摘させていただいた「こころ」のよいあり方の例が、今ご紹介したAさんの「ものの見方、考え方」の変化の中にも見ることができます。
最初、ガンの宣告を受けたAさんは、その窮地(きゅうち)から一刻でも早く逃(のが)れたいとあせり、病状の好転の兆(きざ)しが全く見えない日々、心痛を深めていかれるばかりでした。多分、その時のAさんの「こころ」にあったのは「こんなに治療に専念しているのにどうして良くなっていかないんだ」「なぜ、自分がこんな病気に患(かか)らねばならないんだ」「健康だった頃が恋しい」。そんな思いだったにちがいありません。そして、それはガンにおかされている今の現実とは、相入れぬものばかりなのです。

仏教的ものの見方、考え方の基本にあった「あるがままをあるがままに見る」こころが全くありません。しかし、ある日Aさんは、
「病気から逃げるのではなく、病気とうまくつきあう」ことを考えようとすることで、まず自分の病気を真正面から見るようにされ、日々の自分の病気とうまくつき合うために「最良の方法とは何か」を、日々見い出す努力を始められたのです。
すると、今迄と特別病状が変化した訳でもないのに、今迄感じることのなかった、「今日は調子がいいぞ」「今日は、食事が随分おいしく感じられる」などといった自分の中から湧き上ってくる喜びや意欲が、まだまだ沢山あることが実感できるようになられたのです。そして、未来に希望が自然とつながり、前向きに堂々と「自分のいのちを自分が生きる」ことを、喜びを持って確信されるようになったのです。
「こころ」を正しくするということは、改めて「いのちのあること」や「今、ここに、こうして生きている」ことが、ただそれだけで有り難いと痛感できるようになることでもあったのです。そして、わたしたちが「そんなこころ」になれた時、真実の平安がわたしの胸の底からじんわりと湧き上ってくるのです。

こすもす 303号より


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