平成21年・バックナンバー

平成21年5月
「身語正教学」講義[10]


テキスト『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」から直々授かられた「み教え」と「ご信心」がどのようなものであったかを、体系的に明らかにしようとするものです。テキストを傍(かたわら)に、共々学びましょう。 学びの森

〈おじひ〉のままに生きられた宗祖上人のお姿を手本に
「身語正」の信心を語る時、
「すがらせていただける親を持つ身の幸せ」
とよく語られます。
ここでいわれる「親」とは、身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」であり「宗祖覚恵上人」、時には「親仏」や肉親の親までも含んだものとして捉(とら)えられています。そして、身語正の信心においては、こうした「親」たちは、実在する存在であり、わたしにとって正しい導きをして下さる存在なのだ、と捉えられているのです。
中でも身語正教主「根本大悲の親(ご本尊中山不動尊)」の存在は、絶対的なものです。だからこそ、宗祖上人は
「夫(そ)レ信ヲ学ニオクナカレ、信ヲ人ニオクナカレ、当(まさ)ニ信ヲ仏ニオクベシ」
と明言されているのです。

宗祖上人のこの確信は、物心つく頃から宗祖ご自身が体験してこられた「み仏」との出会いがその根拠になっています。すなわち、「身語正」という仏教の信心は、宗祖上人の宗教体験に基づく信心であり、宗祖上人が「わたしに出来たことは、あなた自身にも出来ることなのですよ」と力強くお導き下さり、宗祖のこのみ教え、お諭(さと)しを信じて行じることによって、わたくしたち自身が正(まさ)しく(嘘でも偽りでもなく本当に)自分自身の体験として実感できたことによって継承されてきた信心なのです。
「宗教体験」の不思議さは、古今東西の様々な宗教において確信され体験されてきました。本宗では、こうした事実を「広義の身語正」と呼んでいます。すなわち、神・仏に対して「頼む一念」で至心にすがらせていただくなら、必ず「宗教体験」をいただけると確信させていただいているということです。そんな様々な宗教体験の中で、わたくしたちは身語正教主「根本大悲の親(ご本尊中山不動尊)」から授けていただく宗教体験を〈おじひ〉とお呼びさせていただいています。そして、身語正教主「根本大悲の親(ご本尊中山不動尊)」は、すがるわたしたち一人ひとりに、真にふさわしい道開(みちあ)けをさせんがため〈おじひ〉を授けて下さるのだ、と確信させていただくのです。

わたしたち一人ひとりの道開けとは、わたしたち一人ひとりが「自分のいのちを自分が生きる」ことであり、自分のいのちを自分らしく生きることに他なりません。ですから、〈おじひ〉を通して「今、おまえはこのように生きろよ」と教えていただくのです。すなわち、身語正という信心における〈おじひ〉とは、今このわたしが「どのように生きるべきか」「どのように行動すべきか」「どのように実践、実行すべきか」を教えていただくことなのです。そのため、本宗の信心においては、
〈おじひ〉をいただいたならば、必ず〈おじひ〉のままに生きなさいと教え諭していただくのです。
宗祖上人のご生涯とは、正(まさ)しく〈おじひ〉のままに生きられたご生涯でありました。身語正の信心をさせていただくわたくしたちは、宗祖上人のご生涯を手本として生きさせていただこうとするのですが、それは〈おじひ〉のままに生きるという姿を手本とすることだったのです。

こすもす 298号より


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