平成21年・バックナンバー

平成21年4月
「身語正教学」講義[9]


テキスト『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」から直々授かられた「み教え」と「ご信心」がどのようなものであったかを、体系的に明らかにしようとするものです。テキストを傍(かたわら)に、共々学びましょう。 学びの森

「イメージする」ことは、信心するうえで大事な要素
身語正の法燈を後継すべく高野山大学を優秀な成績を修めて卒業し帰郷された覚照猊下に、宗祖上人が伝えられた「慈・悲」の実践者となれとのお諭(さと)しがどのようなものであったかは、既にお話しました。このお諭しは、覚照猊下に真の身語正行者になって欲しいとの宗祖上人の願いが託されたみ教えだったのです。
中山身語正宗という信心を宗祖上人に託して「立教」を促(うなが)された身語正教主「根本大悲の親」は、ご自身のことを「大悲を自らの働きの根本とし、一切衆生に対しては親の如く振るまう」と宣言され、その思いをご自身のお名前として名告(なの)られました。そこにあったこのみ仏のみこころは、「悲の実践」こそ身語正という信心にとって最も大切な命脈であるという思いであったと確信させていただきます。

「悲」の実践。すなわち、相手の苦しみに深く共感し、その苦しみを取り除いてあげるために、自分のなし得ることを探し、実行しようとする姿の大切さが、そこには説かれています。
中山身語正宗の信心は、自分の悩み苦しみから出発してみ仏と出会いそのみ仏に「頼む一念」をもってすがりきった時に体験させていただく救いと歓びを土台に、次に自分の周りの人々の「苦」への深い共感を生み出し、その人々のために「なすことのできる」ものとは何かを見つけ出し、実行しようとする信心だともいうことができます。自分自身の悩み苦しみから出発するものであるとしても、それに終わってはなりません。それを土台として、広く周りの人々に思いを拡げていくことが大切なのです。そのために、「イメージすることの大切さ」が問われてくることになります。
「イメージする」ことは、宗教の諸活動にとって、とても大事な要素の一つです。宗教は、この「イメージする」という要素を基にして、実にさまざまな芸術を生み出し、儀礼を創り出してきたのです。そして、生み出されてきた芸術や儀礼に触れることによって、その宗教のもつ豊かな内容を自然な形で伝えていったのです。
宗教において「儀礼」とは、「教義の行為化」だといわれます。教義の行為化とは、その宗教の教えや考え方といったものを具体的な行い、活動として具現化してみせようとする、ということです。

中山身語正宗には、例えば「百万遍」という一座や「御座(おんざ)」と呼ばれる行願の「形」があります。
わたしたちは、こうした「形」の中に「身語正」と呼ばれる本宗の信心の核心がどのように「行為化」されているのかについて、改めて強い関心を向けていかねばなりません。
中山身語正宗の信心の「形」の中にあるイメージの中心にあるものは「目には見えない存在であるみ仏をより身近に、具体的なものとして捉え直そう」という姿勢のあることを確信させていただきます。そして、そのみ仏を「親様」とお呼びし、文字通り「親のような存在」として捉え直して、そのみ仏への敬いと親しみを自分自身のみ仏への切実な思慕(しぼ)の原動力とし、「頼む一念」のまこととして現し出そうとしていくのです。

こすもす 297号より


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